スンバ島 | Sumba

 インドネシアの観光地として名高いバリ島からさらに東へ、小スンダ列島を島づたいにロンボク島、スンバワ島とたどった先にスンバ島はある。
 乾期におとづれると、風化して山頂のたいらに削りとられた山やまが地肌をむきだしにした様子が上空からみてとれる。島の気候は東部でとくにきびしく、地上にはえる草木はみわたすかぎり枯れつくして、乗合バスのまきあげる土埃ばかりが島の存在を主張するかのようだった。
 けっして生活条件のよくないこの島を有名にしているのは、人物、動物などのゆたかな装飾モチーフで知られる織物と島じゅうにいまも息づく巨石文化、それにとんがり帽子のように棟の高く突きでた独特の家屋の集落景観である。地域によってはこうして突きでた屋根の棟の高さは10メートル以上にもおよぶことがある。
 高く天空をめざしてのびあがる屋根にはいったいどういう秘密がかくされているのだろうか?

©minpaku digital archives : 3D movie by Takayuki Sui @ espa

マラプの家

 スンバ島の家屋は、屋根の中央部が突出した独特の形態で知られる。氏族の中心家屋「マラプの家」では、この突き出した屋根のなかに、マラプとよばれる父系祖先のための祭壇がもうけられ、各氏族を象徴する祖先伝来の家宝が安置されている。マラプはスンバの人びとの精神的支柱であり、あらゆる儀礼はマラプにささげられる。マラプは家を守り、繁栄や豊穣をつかさどる神でもある。そのためにスンバ島では屋根裏は家屋のなかでもっとも神聖な空間とみなされている。
 屋根裏空間がどんなに巨大化しても、そこには日常生活の用に供するものはおかれていない。屋根裏はマラプのいる神聖不可侵な領域で、人間はおいそれとそこに足を踏み入れることができないのである。ただ年に二回おこなわれる農耕儀礼のさいにかぎって、この家のしかるべき男性成員が屋根裏にのぼり、マラプの依代をもって降りる。こうしたマラプ祭祀を司るのは男性成員にかぎられ、屋根裏は女性や子供にはきびしい禁忌の対象となっている。家屋をみるかぎり、スンバ島は男性的原理の優越した社会といえようか。

Wunga House Sumba House
©minpaku digital archives : 3D drawing of MAYA by Takayuki Sui @ espa

マラプの家の建築構造

 マラプの家の基本は中央でとんがり屋根をささえる4本柱の構造にある。この構造は高床の穀倉の軸組として、東南アジアから日本の南西諸島までひろくみられるものである。スンバ島では、米倉としての目的をはなれて、人の住まう高床住居に転用されているが、じつはこの地域の高床住居の多くが同様の穀倉構造に由来している。
 このようなマラプの家の構成原理はスンバ島全体でほぼ共通している。各地方ごとに特色はあるが、大きな形式上の相違は柱頭を飾る鼠返しの有無に集約されるだろう。

スンバ島 Kodi Lamboya Wanokaka Loli Anakalang Lewa Kanatang Waingapu Melolo Rindi
スンバ島

 島の東部地方には、鼠返しのない家屋形式が広まっている。棟の出も比較的小さく、家屋は水平的でのびやかな印象をあたえる。その典型にレンデ Rindi がある。木造の軸組は様式化され、細部の大工仕事も手伝って、穀倉の面影はもはや感じられない。スンバ島建築のひとつの完成された姿と言えるかも知れない。

SUMBA HOUSE 'Uma Marapu'
マラプの家の構造:東スンバ、ウンガ村

 これに対して、島の西部(東スンバ県のレワ Lewa 以西)には、棟の高くあがった穀倉由来の家屋形式がみられる。4本柱の柱頭には大きな円盤形の鼠返し(物を載せる棚と理解されている)が載り、東部地方とくらべて家屋は垂直性の高いものとなっている。なかでも島の西岸のコディ Kodi 地方では、天空高く屋根がのびあがり、マラプの(ための)家のアルカイックな発展をうかがわせる。

wunga
家屋建設でまっ先に建ち上がる穀倉構造 Wunga

 ウンガ Wunga の家屋は鼠返しのない東部型といえる。しかし、マラプの家が高床の穀倉に由来することは、建設過程でまっ先に建ち上がるのが4本柱の穀倉構造であることを見てもわかる。
 穀倉の屋根組ができあがると、右手前に位置する神聖な柱の足元ではマラプに対する儀礼が執行される。人間の居住する高床空間には、建物の屋根がすべて葺き終わり、マラプの家の全貌が姿を見せてからとりかかる。マラプの家の本体はマラプの住む屋根裏なのである。
 マラプと人間界をつなぐ4本の主柱は神聖視され、聖木とされる数種類の木だけがそのために利用される 。この柱を運ぶため、遠くの森から村まで、多くの村人による柱曳きの儀式がおこなわれる。とりわけ、家屋の右手前に位置する柱(天井裏のマラプの依代を安置する場所とおなじ位置)はマラプを象徴するもっとも大切な柱である。マラプに対する祭祀はいつもこの柱に向けておこなわれる。家屋の建設に際して最初に建てられる柱でもある。このような柱の象徴性を考えるうえで興味深い事例がある。

sepik
ニューギニアの dubu [Seligmann 1910]

 パプアニューギニアにはドゥブ dubu と呼ばれる祭礼用の構造物があった。その形式は各地で異なり、屋根のある建物の場合には、首刈りで得た頭蓋骨がそこに保管された。しかし屋根があっても、ドゥブの本質はあくまで巨大な4本柱の構造体にあった。ドゥブは4本柱でつくる高床の架台であり、大規模なものでは、架台の下にさらに低い床構造を追加していた。建築技術的に注目すべき要素はすくないが、ドゥブの社会的機能や象徴性はスンバ島の家屋にも通底している。

 ニューギニア南東岸では、社会活動のいわば頂点として、食物の再分配をともなう祭宴がおこなわれていた。その最大のものが精霊に対する祭宴である。この祭宴にあわせて、あらたなドゥブの建設がはじまる。ドゥブは氏族やそれをたばねる社会が単位となって建てられる。その部材はひとつひとつ世襲的に持ち主が決まっていて、ドゥブの建設自体がそうした社会成員の統合を象徴していた。なかでも重要な4本の柱には個別に名前がつけられ、人の頭部をあらわす彫刻が柱頭を飾ることもあった。
 柱自体が精霊としての地位を獲得しているのである。4本の柱のなかでは右手前にある柱がもっとも価値がたかく、これを所有する人物が即ちこのグループの長であった。
 ドゥブが完成すると、架台の上にヤムイモなどの収穫物や獲物をうずたかくつみあげ、祭礼のあいだ、氏族の男性メンバーがその傍らに腰をおろして来客たちをむかえた。架台の上に頭蓋骨が吊り下げられることもあった。ドゥブには祖霊がやどると考えられていたから、祭礼の終了後も女たちはドゥブに近づくことを禁じられていた。

wunga
4本の主柱を村へ迎え入れる Wunga

 柱はいわば建築の原初形態であり、柱に対する観念は建物が変化しようと簡単に失われるものではないだろう。
 ウンガでは柱を村へ迎える際に、嫁入りする娘に対するのとおなじ儀式がおこなわれる。村の一員となった柱には、村の広場でさまざまな意味をもつ彫刻がほどこされ、柱の立つ場所に応じた属性があたえられる。男の属性をもつ2本の柱には8角の面取りが、女の柱には7角の面取りがなされる。こうして4本の柱ははじめてマラプの家を支える柱に生まれ変わるのである。マラプの家の4本柱をめぐる慣習には、穀倉以前に遡るスンバ建築の原点が写しこまれているようにみえる。

Panorama View of the Wunga Village in Kanatang, East Sumba,
2009.11.27
Panorama View designed by Nozomu Okabe @ espa


Inside Sumbanese House "Uma Waimoru" of Wunga Village
Panorama View
Panorama View of the Tarung Village in Loli, West Sumba
2010.3.11


"Uma Mawine" in Tarung
Panorama View of the Wainyap Village in Kodi, West Sumba
2010.3.11



マラプの家の空間構成

 スンバ島の家屋にはプライバシーを目的とした間仕切りの壁がない。当然、人の住む住宅であるから、地域によっても、また住み手によっても多くの変化形があり、ひとつとして同じ家屋はないといえる。けれども、慣習的にまもられる規範によって、島じゅうどこでも空間利用は一定の法則に従っている。
 マラプの家を訪れる者は、自身のおかれた立場(男女の性別や年齢、階層といった)によって、また、それがどのような機会であるかによって、家屋のどの入口からはいり、どこに座を占めるべきかがあらかじめ決められている。間仕切りのない家屋の空間には、人間行動を律する見えない壁が立ちはだかっている。それは、スンバの人びとの心に植えつけられた観念体系が形づくるものである。マラプの家の住人は、立居振舞のたびごとに否応なくこの観念に直面して、自分がいかなる立場の人間であるかを再確認することになる。

 スンバ島の家屋空間は、右/左や前/後といった対立軸によって象徴的な意味を与えられている。家屋の右側(スンバ島では正面から見て)は男の、左側は女の領域であり、男たちは儀礼活動に邁進し、女たちは現実の生活をになう。そうした村落生活の実情を反映して、家屋の右側では農耕儀礼や葬儀などの公的な活動がおこなわれ、反対に、家屋の左側は毎日の調理や就寝といった私的な用途に利用されている。
 いっぽう、家屋の前後はおなじ高さであるにもかかわらず、上下の感覚とむすびつけられている。より高い部分である家屋の前側は、マラプの住む屋根裏にちかく、宗教的、儀式的色彩を強くおびている。それに対して、家屋の後ろ側は日常的、世俗的な活動にひらかれている。

 また、マラプの家を垂直にみると、3層の領域にわけることができる。
 ブタやイヌなどの家畜がうろつきまわる床下、カハルに代表される人間の生活空間である高床、そしてマラプのやどるウマ・デタ(上の家)、つまり屋根裏である。
 人間たちは、ウマ・デタにいる家主のご機嫌をうかがいながら、マラプの家で借家生活をおくっている。スンバの人びとにとって、家屋とはそんな存在にちかいかもしれない。
 ウンガの生活に即して、こうした対立軸がどのようにあらわれるかを確認しておこう。

Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba Sumba スンバ島家屋の間取り
大きなカハル(高床) Kahalu Bokulu : 儀礼の執行者もふくめて儀礼は男性がかかわる事柄とみなされている。マラプに対して祈りを捧げるときには、家のなかの男ばかりでなく、各家の代表者である男たちがみな大きなカハルにあつまって儀礼がはじまる 水甕のカハル(高床) Kahalu Kelu Niaru: 必要におうじて小部屋が仕切られる。女性が調理をするのはこの部分で、「大きなカハル」とは対照的にここは女性のための空間とかんがえられている。儀礼がおこなわれるときには、女性と小さな子供たちは、この場所に腰をおろして祈りの文句に耳をかたむけている 上のコルン(部屋) Kolungu Radu Deta : 儀礼用の道具や食器類がおかれ、屋根裏からマラプの神器をおろすような場合には、つねにこの部屋から梯子をかけてのぼる。マラプの住む屋根裏ウマ・デタ(上の家)と人間の住む高床カハルを媒介する空間 下のコルン(部屋) Kolungu Radu Wawa : 調理の道具がおかれ炉端は調理場となる。出産の際に妊婦はここですごす 正面の露台:日中くつろいだり、日常作業をおこなう場所。簡単な接客は家にあがらずにここで済ます 臼の露台:女性が米をついたり、ブタやニワトリに餌をあたえる 水甕の露台 炉 Kulur 身分の高い男性の寝所 未婚の男子の寝所 主人夫婦の寝所 寝所: 小さな家ではないことも多い 男の入口:儀礼の参加者はこの入口から屋内にはいる 臼の入口:馴染みの客は男女を問わずこの入口から屋内にはいる 水甕の入口:水くみからもどった女性はここから屋内にはいる 女の入口 ラドゥ Ladu:儀礼のさいに伝達者がすわるベンチ 供物台:マラプへの供物をささげる祭壇。屋根の垂木に吊り下げられる 占いの柱 Kambaraingu Urat : マラプにむすびつく家屋内でもっとも神聖な柱。マラプに対する儀礼はこの柱の向けておこなわれる Kambaraingu Maurungu: 女の柱 Kambaraingu : 4本の主柱 Kambaraingu : 4本の主柱

大きなカハルと水甕のカハル

 マラプの家を訪ねる男性客は正面右側にひらいた男の入口から屋内にはいる。入口前には露台がもうけられており、家にはあがらずに露台で用をすましてしまうことも多い。入口をはいった家屋の右側部分は大きなカハル(カハル・ボクル)とよばれる空間で、冠婚葬祭はここでとりおこなわれる。マラプに対する祭祀は男たちの最大の仕事である。
 入口のちかくにある占いの柱(カンバライン・ウラトゥ)の傍らにはベンチがつくられている。儀礼のさいは、ここに伝達者が座り、占いの柱に対面して座る祈願者と掛け合いながらマラプへの供犠をおこなう。
 大きなカハルは壁際で一段高くなっていて、何もない日中はたいてい男たちの誰かがここで横になっている。
 大きなカハルの裏手にひらいた入口を臼の入口という。手前にある露台で女性が米をついたり、ブタやニワトリに餌をあたえるからである。親しい人間は、男女を問わずふだんここから出入りすることが多い。
 4本柱に囲まれた家屋の中央は炉になっていて、炉をはさんで、水甕のカハル(カハル・ケル・ニアル)がある。水甕のカハルには必用におうじて小部屋が仕切られ、住人たちの寝所にあてられている。柱の足元には大きな水甕が置かれ、周囲の空間は調理場に使われる。水くみからもどった女性は裏手にあいた水甕の入口から水甕のカハルにはいる。
 大きなカハルで儀礼がおこなわれる際には、女性と小さな子供たちは、水甕のカハルに腰をおろして、祈りの文句に耳をかたむけるのである。

デタ(上)とワワ(下)

 マラプの家を前後にわける概念に上方をしめすデタと下方をしめすワワがある。家屋の前面中央にある部屋を上のコルン(コルン・ラドゥ・デタ)といい、中央の炉をはさんで背面側の部屋を下のコルン(コルン・ラドゥ・ワワ)とよぶ。コルンは小部屋の意味である。家屋の前後で床の高さにちがいがなくても、家屋の前面は背面よりつねに高いと認識されているわけである。
 上のコルンには儀礼でもちいる道具や食器類が置かれ、ここは儀礼にかかわる空間とされている。マラプ祭祀にあたって、上の家(屋根裏)からマラプの神器をおろすさいには、かならずこの部屋から梯子をかけることになっている。マラプの世界と人間界をつなぐ空間である。
 いっぽう、女性のかかわる出産は下のコルンでおこなわれる。

上の家(ウマ・デタ)

 屋根裏には金銀の装飾品や金属片、陶磁器などの先祖伝来の神器が保管されている。とくにマムリという装飾品は「マラプの陰」とよばれ、数かずの儀礼をへてマラプがやどるものと信じられている。神器をおさめた小篭をおくために、右手前の隅垂木に小さな棚ヘンドゥ・マラプがつくられている。日常的なマラプへの供物は、屋根裏でなく正面入口の右手に吊された供物棚ヘンドゥをもちいる。
 毎年二回、豊作の祈願と収穫への感謝をこめて、マラプに対する供犠がなされる。このとき神器は上の家から上のコルンにおろされ、大きなカハルで儀礼が執行される。人間が屋根裏にのぼることができるのは、こうした儀礼のさいにかぎられている。

スンバ島の集落



Rindi
Rindi, Rindi
Melolo
Umabara, Umalulu (Melolo)
Anakalang
Kabondok, Katikutana (Anakalang)
Tarung
Tarung, Loli
Kodi
Ratenggaro, Kodi
Wunga
Wunga, Haharu

 スンバ島集落の基本は、川上、川下の方位を軸線にしながら、平行に家屋が建ちならぶように構成されている。集落は3つの部分にわかれ、川上側が船首 Tundu Kambata、川下側が船尾 Kiku Kemudi、その間の部分は甲板 Kani Padua と呼ばれる。社会的に重要な家屋は中間の甲板部分にかたまっている。スンバ島の集落はちょうど川を遡上する舟にたとえられるわけである。

 東スンバの中核村であるレンデ Rindi は、南北にひらけた広場を中心に整然とした家並みのひろがる東スンバ型集落の典型といってよい。広場の中央には巨石の支石墓や首狩りした頭蓋を掛ける木がならび、レンデ地方だけの特徴である妻入りの家屋が広場に面して向き合っている。レンデでは南西が川上側にあたるため、集落は南西に向かう舟にたとえられる。

 これに対して、西スンバの集落は小高い丘の山頂に築かれることが多い。中核村タルン Tarung は、支石墓の密集する巨石広場を円環状に家屋が取り囲んでいる。村の入口は南にあり、タルンを頂点にして、そのまま尾根伝いに別の村へと平行に家並みが連なってゆく。タルンの中心広場には、北のはずれにこの村のマラプ(厳密には、村の中心となる氏族のマラプ)を祀る小さな祀堂 Uma Kabubu が建っている。この祀堂は集落中でもっとも神聖な建物とされ、毎年の新年をむかえる儀式 Wula Podhu の舞台となる。

 ただし、スンバ島西海岸のコディ Kodi 地方だけは集落形態も独特で、中央の広場をかこんで円環状に家屋が建ちならんでいる。

Tarung site
Tarung の集落平面 (2017.10.7 集落全焼)

 こうした計画的な集落景観とくらべたとき、ウンガ Wunga には明確な構成原理が働いていないようにみえる。あるいは、他の中核村と比べて自然発生的な集落に近いということかもしれない。ウンガでは、巨石の配置も広場も明確ではなく、石ころだらけの敷地に家屋が雑然と建ちならんでいる。

 一見とらえ所のない集落配置だが、各家の間取りをしらべてゆくと、おもしろい事実が判明する。マラプの家にはつねに左右の別があり、男の空間である家屋の右側には、儀礼のためのベンチがもうけられている。集落図にベンチの位置を描き込んでみるとよくわかるが、ウンガの集落は入口の面する向きで大きくふたつのブロックにわけることができる。

 村はなだらかな山の南斜面に立地している。集落は南北に向かう軸線を境に東西二手にわかれているのである。このように川上(北)と川下(南)を集落の中心軸にすえる点で、ウンガの集落配置もスンバ島の一般例にしたがっている。ただし、象徴的な解釈には他との相違がみられる。ウンガではこの中心軸をはさんで村の西側を Kambata (船首)、東側を Kiku (船尾)と呼んでいる。しかも、東を向く船首=西側の家屋群は、西を向く船尾=東側の家屋群よりも上位に位置づけられている。ウンガ村はおよそ西に向かう船にたとえられるわけだが、こうした説明自体が後付けの印象をうける。

Wunga Site
Wungaの集落平面 (2010.7.28 集落半焼)

マラプの家の建設

スンバ島で家屋を建てる



Reconstruction of "Uma Bokul" in Wunga (23-24 Oct. 2008) 1'08"

東スンバ

SUMBA TIMUR
RINDI (RENDE)
Rindi王家の中核村。スンバ島では Rindi と Umalulu 以外に例のない妻入りの家屋形式をとる。中庭に正面を向けた家屋配置は共通するため、集落は2列縦隊に家屋がならぶ不思議な景観。建物は一部トタンに変わり、全体に(村全体が)疲弊した印象をあたえるが、建築構造には細部に素性のよさがあらわれている。主柱の上に鼠返しをもたない東スンバ型の完成された姿を伝える。スンバ島の古典的モノグラフを著した人類学者Gregory Forthが1970年代中葉に調査した
Parai Yawangu 1985/87
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba

2008年、Rindi出身の県知事が亡くなり、村で葬儀がおこなわれた
East Sumba
占いの柱のまえに棺を置く
East Sumba
支石墓の準備
MELOLO
現在の Umalulu(市)はかつての Melolo 王国に相当する。その中心が Umabara で集落の家屋配置は Rindi とおなじ妻入形式。鱷や亀の彫刻された巨大な支石墓がある。Umabara の南に隣接して Pau の集落がある。集落配置は共通するが、Pau は独自の小王国を形成していた。
Umabara 1985
East Sumba
East Sumba
East Sumba
KARERA
スンバ島の南岸、東スンバ県のなかでももっともアクセス困難な土地だった
Nggongi 1985
East Sumba
East Sumba
KANATANG
東スンバの北西端Haharuの中核村Wunga。手近に良質の木材、石材がないため建築はそれなり。Sasar(Hahar)岬はスンバ民族祖先の降臨の地と考えられているが、東スンバ文化圏のなかでは僻地。小池誠氏の調査村
Wunga 1987
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba

12棟あったマラプの家は2010年の火災で7棟が焼失した。残った5棟も2016年には2棟がすでに倒壊、中核村の面影はもはやない。
East Sumba
East Sumba
Prai Natang 2010/2016
1994年公開の映画 "Surat untuk Bidadari" (天使への手紙)の舞台となった村として有名。2016年、12棟あるべきマラプの家は9棟が残るものの、どの建物も損傷ひどく、このままでは倒壊は時間の問題。
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
LEWA
スンバ島のほぼ中央に位置するLEWA。東スンバ県に属するものの、その建築は主柱の上に円盤形の鼠返しをもつ西スンバ型
Wundut 2008
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba
East Sumba

中部スンバ

SUMBA TENGAH 2007-
2007年に西スンバ県から中部スンバ県として独立した。家屋の形式は西スンバ県と同じ西スンバ型
ANAKALANG
Lai Tarung 1985/87
この地域の起源の村といわれる。人家はなくなってしまったが、石柱で支えられた精霊の家と巨石がのこる
West Sumba
男女の彫像が精霊の家の棟の右と左を飾る。この配置は屋内空間のシンボリズムとかさなる
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
12本の柱の主柱である4本は石灰岩でできた石柱
West Sumba
4本の石柱には幾何学模様が線刻されている。柱はそれぞれ異なる氏族が管理所有していた
West Sumba
West Sumba
Makatakeri 1987
実測家屋
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba

西スンバ

SUMBA BARAT
LOLI
西スンバを代表する中核村Tarung。巨石の支石墓を囲み、Tarung - Waitabar とつらなる集落景観は圧巻。西スンバの中心 Waikabubak の町の周辺には、丘の斜面を利用した集落が多数ある
Tarung 1985/87
West Sumba
West Sumba
West Sumba
氏族のマラプを祀る Uma Kabubu
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
集落を通る道はそのまま隣村の Waitabar へ
West Sumba
West Sumba
Waitabar より山上の Tarung を遠望
West Sumba

1ヶ月におよぶ新年祭 Wula Podhu / Wulla Poddu(聖月)がはじまる 2008
West Sumba
初日の儀礼(Tauna Marapu ?)
West Sumba
毎年1度だけ、祀堂 Uma Kabubu にratu(司祭)がはいる機会
West Sumba
各家は三角に盛ったご飯を持ち寄り、儀礼後に、家に持ち帰る
West Sumba
Dasaelu 1985
West Sumba
West Sumba
Prai Ijing 2008
West Sumba
WANOKAKA
LOLIより南下した南海岸。Tarungと同形式の箱型の炉棚をもつ
Praigoli 1987
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
LAMBOYA
LOLIより南下した南海岸。WANOKAKAの西。海にせまる山あいに多数の集落が点在している
West Sumba
Sodan 2008/2016
山頂のわずかな土地にへばりつくように建つ家並み
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
箱型の炉棚をもつ西スンバの典型的な屋内空間
West Sumba
棟の飾りは村が禁忌の状態にあることをしめす
West Sumba

南西スンバ

SUMBA BARAT DAYA 2007-
KODI
スンバ島の最西端。スンバのなかではユニークな文化圏として知られる。棟の異常に高い家屋がならぶ独特の集落景観が特徴だが、建築構造は竹を多用した鳥籠のような軽い建物。風による倒壊も多い
Tossi 1985
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
倒壊が多いこともあってKodiでは建築サイクルがみじかい
West Sumba
2010年
Ratenggaro 2008/2016
West Sumba
13棟あった家屋は2004年に全焼。2008年には3棟が再建されていた
West Sumba
2010年に1棟をのこして再び全焼。2016年には11棟の家屋が建つ
West Sumba
2008年の屋内。なぜか主柱上の鼠返しを欠く
West Sumba
2016年の屋内。箱形の炉棚は東のLamboya、Wanokakaの影響か
West Sumba
West Sumba
川をはさんでWainyapuを望む
Wainyapu 2008/2010
West Sumba
West Sumba
支石墓が集落をとりかこむ
West Sumba
West Sumba
West Sumba
奥の間より向かって左が大きな床(男の領域)、右が水甕の床(女の領域)
West Sumba
大きな床の儀礼用のベンチ
West Sumba


フィールドノート

one of three biggest islands in East Nusa Tenggara Province covers 11,150 sqkm. It consists of two districts, i.e East Sumba and West Sumba Districts. The capital of East Sumba is Waingapu, and Waikabubak of West Sumba. Sumba is now populated by about 350,000 people. As part of Indonesia, Sumba has two seasons, dry season (May to November), and rainy season (December to April). Sumba is better known of its sandlewood, horse, impressive megalithic graves, typical hand woven textile of "ikat" weaving, still untouch beautiful beaches, etc.
Tourism: East Sumba
Tourism: West Sumba

The Sumbanese people speak a variety of closely related Austronesian languages, and have a mixture of Malay and Melanesian ancestry. Twenty-five to thirty percent of the population practises the animist Marapu religion. The remainder are Christian, a majority being Dutch Calvinist, but a substantial minority being Roman Catholic. A small number of Sunni Muslims can be found along the coastal areas
Wikipedia

Kambera 234,574. Eastern half of Sumba Island. Dialects: Kambera, Melolo, Uma Ratu Nggai (Umbu Ratu Nggai), Lewa, Kanatang, Mangili-Waijelo (Wai Jilu, Waidjelu, Rindi, Waijelo), Southern Sumba. Dialect network. Kambera dialect is widely understood. Speakers of Lewa and Uma Taru Nggai have difficulty understanding those from Mangili in many speech domains. Ethnologue
Anakalangu 14,000. Southwest coast, east of Wanukaka. Dialects: Close to, but unintelligible to speakers of Wejewa, Mamboru, Wanukaka, and Lamboya. Ethnologue
Kodi 40,000. West Sumba. Dialects: Kodi Bokol, Kodi Bangedo, Nggaro (Nggaura). May be closest to Wejewa. Ethnologue
Lamboya 25,000. Southwest coast, southwest of Waikabubak. Dialects: Lamboya, Nggaura. Close to Wejewa, Mamboru, Wanukaka, Anakalangu. Ethnologue
Laura 10,000. Northwest Sumba, between Kodi and Mamboru. Dialects: Laura, Mbukambero (Bukambero). Not intelligible with Kodi. Ethnologue
Mamboru 16,000. Northwest Sumba, coast around Memboro. Dialects: Related to Wejewa, Wanukaka, Lamboya, Anakalangu. Ethnologue
Wanukaka 10,000. Southwest coast, east of Lamboya. Dialects: Wanukaka, Rua. Close to, but unintelligible to speakers of Wejewa, Mamboru, Lamboya, and Anakalangu. Intelligibility of varieties in east Sumba and Kambera uncertain. Ethnologue
Wejewa 65,000. Interior of western Sumba. Dialects: Weyewa, Lauli (Loli), Tana Righu. Ethnologue

Sumba was under control of the mighty Majapahit dynasty from Java in the 14th century. After the fall of Majapahit the island was ruled from Bima on Sumbawa and later Gowa on south Sulawesi. The society was however most influenced by the internal wars, even if there still was mutual economic dependency between the rival kingdoms. Horses, timber, betel nuts, rice, fruit and ikat was heavily traded between the various districts.
indonesia-tourism.com

Janet Hoskins "The Play of Time : Kodi Perspectives on Calendars, History, and Exchange"

"Coevolution of languages and genes on the island of Sumba, eastern Indonesia"



JAWA
ジャワでもかつては床をもうけていた Candi Jago 13-14C
JAWA
JAWA
ジャワの伝統的家屋にみられる接客空間のプンドポpendopo。こうした中折れのとんがり屋根をジョグロjogloといい、本来は貴族階級の象徴 Kota Gede (Jawa)
ジャワ | Jawa

MADURA
MADURA
棟のあがった家屋はマドゥラ島にもある Madura
マドゥラ島 | Madura

SUMBAWA
SUMBAWA
スンバワ島ビマ 穀倉型家屋の下の高床テラス Bima (Sumbawa)
ドンゴ(スンバワ島) | Donggo (Sumbawa)

ALOR
ALOR
高床下のテラスにも炉をもうけるアロール島の家屋。テラスを壁で囲うとスンバ島の家屋のできあがり Alor
アロール島 | Alor


Sumba
スンバといえばikatが有名だがこれは不毛な島の東部でさかん

西スンバには水田がひろがる


葬儀 Anakalang 1985
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占いの柱の足下に老婆の棺
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夜にはいって葬儀がはじまる
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泣き女
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棺に集まったのは女性ばかり
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ひとしきり泣いたあとは記念撮影
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男たちはゴングを打ち鳴らし
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かたや博打に興じ
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夜のあけるまで、、、


埋葬 Anakalang 1985
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死んだのは子供
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恒例の泣き女
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支石墓の石をどけ
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遺骨をいれる
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力をあわせて埋葬のあとは豚を供犠


建設 Kodi 1985
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
West Sumba
人間の住む高床はマラプの住む屋根裏が完成してからとりつける


※以下の現地語表記は断りのないかぎり Wunga 村におけるもの
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witu / wicu: インドネシアで一般に alang-alang と呼ばれる。チガヤのこと。サゴヤシとならんで屋根葺材としてひろく利用されている。スンバ島では屋根のほか外壁にも葺く[Imperata cylindrica]

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kokur : ココヤシ [Cocos nucifera]
↓ 葉軸のまわりに小葉を折り返して編み、壁パネルをつくる。
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↓ 葉柄 papa kokur をならべた壁。竹などの心材で貫きとおして固定する。
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manggit : ロンタルヤシ [Borassus flabellifer L.]
↓ 壁パネル。小葉を切り分け、心材のまわりで折り返して rimanggit で縫う
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↓ 葉脈部分をむしりとって rimanggit をつくる。小葉を縫ったり、チガヤを束ねる紐に利用する
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↑ 屋根パネルの製作。rimanggutで束ねたチガヤを連ねてスティックを貫きとおす。
↓ 葉柄の表皮を割り裂いた kakara は床竹の固定などに利用する
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winu : 檳榔樹。乾燥させた檳榔子 pinang = betel nut にキンマの実(ないし葉)と石灰をまぜて口中にふくむ。東南アジアでひろく知られた嗜好品であり、スンバでは儀礼のさいの供物シリー・ピナンとして不可欠。[Areca catechu]
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↑ シリー sirih :キンマはコショウ科の蔓植物。スンバでは葉よりも乾燥させたシリーの実を常用する。[Piper betle]
↓ 枯れ落ちた檳榔樹の花鞘 kakomba (マレー語で一般にupih)を開いて壁に利用する。幹は靱性を生かして割り裂いたもの loru を屋根の小屋組等に使う。
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↓ ビンロウジュの花序をつつむ苞葉はやわらかく包装紙がわりに利用した。
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kalou jawa : パパイヤ。実を野菜や果物として、花は野菜としても食用するおなじみの多年生草本。[Caricaceae]
↓ 枯れたパパイヤの幹を1~2ヶ月(幹の太さによる)放置しておくと、芯部が腐り、堅い表皮だけがのこる。これを開いて不要物を刮げ落とし、重石をのせて平らにのばすと、丈夫な壁になる。5~6年もつ
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↑ 左:裏、右:表

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pingu tap : パンダナス。床に敷くマット tap の材料。[Pandanus sp.]
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パンダナスの加工はおもに女性の仕事で、1枚のマットを編むのに6日の工程が必要。葉を切る→葉脈を取る→周囲の棘を取る→1日乾燥→竹べらで鞣す→巻き取って→さらに数日乾かす→寸法を揃えて裁断→編む
パンダナスの加工法

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nggai : 森に自生する無数の蔓植物のなかから特定の種をえらんで結縛に利用している。nggai は海岸地帯に生える蔓植物で、剥いた表皮だけを割いてつかう。垂木の固定など建材としてもっとも多用されている[??????????]
SUMBASUMBA

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panetang : 海岸地帯に自生する蔓植物で、太い幹状の部分から枝分かれした蔓をふたつに割り裂いて使用する。panetang は水に弱く、強度は nggai にゆずるが、耐摩耗性があるため kakara とならんで床竹の固定にもちいる。[??????????]
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kasukara / kahikara [kambera]: 乾燥地の山林に自生する。蔓植物のなかで最強。棟木の固定など建材としての利用はかぎられる。[??????????]
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lolu mbelar : 太い幹から枝分かれした蔓を採取、表皮は剥いて捨て、中身を構造剤の固定に利用する。[??????????]

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lolu tana : 乾燥地の山林に自生。細い蔓部分をそのまま壁材の固定などに利用する。[??????????]
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lolu cua : 柱曳きのロープにもちいる。[??????????]
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au patung / au piting [Kambera]: マチク属。肉厚で巨大に生長する。水筒などに利用。スンバ島の竹では最大最強だが、 Bambusa vulgarisGigantochloa atter ほど多くない。Wungaでは利用しない。[Dendrocalamus asper]
Nama daerah: Au tiring, Au piting (Sumba Timur), O’o potto (Loli), patto rodha (Elopada), betung, beto (Manggarai), bheto (Bajawa), oo patu (Bima), patung (Tetun)

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au padang: ホウライチク属。肉厚で家屋の床材や仮小屋、畜舎の構造材に使用。[Bambusa vulgaris]
Nama daerah: Hijau: Au bata (Sumba Timur), O’o pata, gurung (Manggarai), guru (Bajawa), oo todo (Bima), au dian (Tetun). Kuning: Oo muncar (Bima), au bata kuning (Sumba Timur)

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au jawa: ギガントクロア属。au padang より肉薄で節の出がなく表面はなめらか。家屋の床、壁に利用する。ひしぎ竹や竹網代の材料。スンバ島全体に多く自生しているが、外来種(au jawa は外国の竹の意味)と考えられている。[Gigantochloa atter]
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au jawa の竹網代 kakat は市場でも売られている。竹の表皮を利用したもの(右)60000RP、表皮を剥いだ肉部を利用したもの(左)15000RP。いずれも大きさは2m×2m
↓ ひしぎ竹。au jawa をふたつに割り裂いて叩き、内部の節を削りとって仕上げる。au padang は肉厚すぎて不向きSUMBA
Nama daerah: Au jawa, O’o jawa, Wo’o jawa (Loli), pering (Manggarai), peringura (Bajawa), au oro (Tetun), oo pa’i (Bima)

Keanekaragaman Bambu di Pulau Sumba .pdf


Kadhururara (Palaquium obovatum)
Kihi (Canarium oleosum)
Laru (Myristica litolaris)
Tamiang (Pometia tomentosa)
Taman Nasional Laiwangi Wanggameti

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nahu / nacu : 木材は赤く重い。Wungaでは聖木として慣習家屋の主柱に最適とされる。直径3-5cm程度の果実は食用。カキノキ科カキノキ属の黒檀の一種。[Diospyros sp.]
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nyarru: 柱材。木材は赤い。インドカリン?[Pterocarpus indicus]

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landukaka: 木材は白く重い。木のなかで最強、釘が通らないという。Wungaには大木がなく、梁や垂木に、枝を屋根小舞に使用。[??????????]

mayala : 聖木として慣習家屋の主柱に利用される。クワ科パンノキ属の植物。[Artocarpus glaucus Blume]
Ai Mayela (Pohon Mayela)
Tropical Plant Catalog

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kiru / keru: 柱材として聖木 mayela につぐ。東西スンバでともに利用されている。幹生花で幹に直接果実がなる。センダン科 [Dysoxylum caulostachium]

kayu omang/cemara hutan (Podocarpus imbricatus BI) , kadhuru/nyatoh (Palaqium obovatum Engl.), wihi kalauki (Calophyllum soulattri Burm, F), Murungiha (Helicia excelsa Blume), kayarak/tangongo (Quercus piriformis), laru (Myristica teijsmanni Miq), malairou (Polyosma sp), kadhuru bara (Palaquium obtusifolium Burck.
Pulau Sumba
Cendana (Santalum album) , Inju Watu (Spondias pinata Merr), Kaduru, Nyatoh (Palaquium obovatum), ai marra. Horani/Suren (Toona sureni Merr), Kesambi (Schleihesa oleosa), Lobung/Salam (Eugenis sp), Manera (Aglaia eusideroxylon), Mayela (Artocarpus glaucus BL), Ulu kataka, Langaha, Mbakuhau, Pulai (Alstonis scholaris), Halai (Alstonis spectabilis), Kanawa, Sawo Kecik (Manilkara kauki).

SUMBA
kabebak: 幹に白い斑点のある灌木で、葉の形が蝶々の羽を閉じた姿を髣髴させるところから Kayu kupukupu (蝶々の木)ともいわれる。束ねたチガヤを串刺しにするスティックの材料。[??????????]
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SUMBA
kalambu: 小さな葉の灌木。束ねたチガヤを串刺しにするスティックの材料。[??????????]

SUMBA
padu: 葉の裏を紙ヤスリの代用に。[??????????]


Sumba
katopu 鉈 [Wunga]
Sumba
kataka 斧 [Wunga]
Sumba
parada 釿 [Wunga]
Sumba
pabola 鑿 [Wunga]

Sumba
Sumba
鍛冶道具:左より lora 平ヤスリ、kasidu 小刀、wasu dalu 砥石、korinda 三角ヤスリ、lata paha 金床(自作)、paha 金槌、kamodu たがね (鉄筋D32?より自作) ほかに ngapu 鉄鉗[Wunga]
Sumba
鍛冶道具:上より rondang ノコギリ、korut キリ [Wunga]




©minpaku digital archives : 3D drawing of MAYA by Takayuki Sui @ espa
EAST SUMBA HOUSE "Uma Marapu"
Desa Wunga, Kec.Hahar, Kab.Sumba Timur, Nusa Tenggara Timur, Indonesia (1987)
©minpaku digital archives : 3D drawing by Takayuki Sui & Kazuaki Kitabatake @ espa
WEST SUMBA HOUSE "Uma Bakul"
Desa Makatakeri, Kec.Katiku Tana, Kab.Sumba Tengah, Nusa Tenggara Timur, Indonesia (1987)
[文献]
マラプの家:インドネシア・スンバ島 (22'25")
撮影 : 井ノ本清和 / 編集 : 岡部 望(エスパ)
完成作品は国立民族学博物館ビデオテークで公開されています

スンバ島の家を建てる (73'39")
撮影・編集 : 井ノ本清和(エスパ)
完成作品は国立民族学博物館ビデオテークで公開されています