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ロティ島はティモール島から約10キロの海峡を挟んで南西にある。島の面積は約1200平方キロメートル、人口約6万6千人(1971年:2005年の統計では 108,615人)というから、サヴ島の二倍の広さのところに、ほぼ同数の人口がいる計算になる。ラマク・アナン<日の出>と呼ばれる島の東半部の人口密度が極端に低いためである。
オランダが接触を始めた17世紀中葉のロティ島には、すでに幾つもの領主が割拠していた。東インド会社は度重なる紛争を避けるために、島内のヌサック(一人の領主によって支配された最大の政治単位)をすべて認める方針をとったから、1662年の調印では4つにすぎなかったロティ島のヌサックは、1690年には12が正式な領国として承認(のち18にふえた)されている。東インド会社は、土着化したポルトガル人との抗争で不安定なティモール島に代わって、ロティ島の統治に力を注いだ。その結果、ロティ人は東部インドネシアでオランダの最大の協力者と目されるにいたる。東インド会社の存在は、比較的干渉を受けることの少なかったサヴ島の歴史と比べる時に、良くも悪くもロティ島の現在を特徴づけているのである。
オランダの統治が及ぶ以前、各ヌサックが争っていた当時には、集落は各レオ(クラン)ごとにまとまり、石垣の防御壁で周囲を囲われていたという。しかし、平和が訪れて以降、こうした集村形式は崩れ、散村に移行を始めたらしい。現在では、サヴ島のような計画的な村落形態に出会うことはないし、ことに平野部では、伝統的な家屋は出作り小屋のようにサバンナの中に点在している。
家屋ウマは周囲をコタという珊瑚岩を積んだ塀で囲まれている。この塀の一部を欠いた入口から屋敷に入ると、巨大な屋根だけを地上に伏せたような家屋の全貌が明らかになる。屋根は入母屋風で、切妻部分には破風板バハニが取りついている。これは屋根の上に伸びて、角の形をした千木(「眉毛」と呼ぶ地方もある)を形作り、さらに、棟木も屋根の端からそのまま突き出して棟先を飾っている。家屋は棟を必ず東西に向ける。この飛び出した棟木は、東側がランガ<頭>、西側がイコ<尾>とよばれ、頭や尾を表わすような彫刻が施された例も見られる。
軒先が短く刈り取られた入口から屋内に入ると、二つの発見をするだろう。竪穴住居を思わせる外観の建築が、実は無数に林立する柱によって空中に持ち上げられた高床住居であったということ。しかも、この高床空間の手前にはベンチの置かれた前庭があり、いっさいの家財道具(食器棚、机、椅子、ベッド)はこの前庭や、高床下に並べられていることである。
家屋を垂直に切ると三つの空間に分けられる。動物を飼育する床下空間ウマ・ダエ、人間の居住する高床ウマ・ライ、そして、穀物やロンタル水飴を収納する屋根裏ウマ・フヌック・ラインである。ところが、現在では家畜の空間だったはずの床下が主要な人間活動の場に変わってしまったことになる。そのため、家屋内の儀礼や特別な機会(出産、葬式など)を除くと、高床上が使用されることは滅多にないのである(8)。
高床へのぼる階段は前庭の中央付近にあって、階段途中に設けられた扉を通して家屋内部へと入ることができる。本来の居住空間だった高床上は、象徴的に男の空間であるウマ・デアック<外部の家>と女の空間であるウマ・ダレック<内部の家>に二分されている。しかも、ロティ島の家屋では、入口の方向にかかわらず、つねにウマ・デアック(男・頭)が東側、ウマ・ダレック(女・尾)が西側をしめる。二室の間には、木の板やゲバンやしの葉柄を並べた間仕切りがあり、階段はウマ・デアックに通じている。
炉ラオはウマ・ダレックにある。ここは女や子供たちの部屋で、水がめ、調理のための道具、ロンタルを入れた壷などが置かれている。もっとも、日常の調理は別棟の厨屋や、床下に設けられた炉でおこなう。豊穣に関わるさまざまな行為、農耕儀礼、出産、病気の治癒、新婚初夜などはこの部屋と結びついている。天上裏へのぼる梯子もここにある。
ウマ・ダレックに対比した時、ウマ・デアックは男の空間とみられ、剣や槍はここに保管され、死者の遺骸はまず東側にあるこの空間に置かれる。しかし、実際にはここは家族全員の利用する空間であって、前庭から上がる階段の左右は、家長夫婦や特別な客の寝所にあてられる。これに対して室内に入ることのできない一般の客や、男たちは、バングという前庭のベンチですごす。従って、ここでもブナック族で見たような空間構成、前庭のベンチ(男)・室内(女){男の空間(ハレ)・女の空間(ケ)}を指摘することができる。
家屋の構造:二本、大きな家屋ではそれ以上の本数の棟持柱ディ(リ)・イナ<母の柱>が棟木を支えている。棟木ウマ・トゥアックは東側のウマ・トゥアック・ランガ<頭の棟木>と西側のウマ・トゥアック・イコ<尾の棟木>の二本に分かれている。これを屋根の途中で繋ぐ際には、赤い布に包んだ金や銀を間に挾み、建築儀礼の中でもっとも盛大な祭宴が催される。棟持柱の周囲には側柱が並び、屋根の四周の垂木を受ける桁梁を支えている。南東隅の柱はディ・コナ<南の柱>とよばれ、建物中でもっとも重要な柱である。これは建設の際の初柱であり、かってはこの柱を穴に埋めたあとでドレイの耳か舌を切り取り、滴る血を柱穴の隙間から注ぐ習慣だった。前庭はこうした建物の主体部分に庇をつけたとおもえばよい。屋根を支えるこれらの柱の左右には、多くの床束が斜めに立ち並んでいる。床板を支える東西(桁行)方向の床梁はロロ・ケニック<(船の)竜骨の梁>とよばれることがある。このように高床は屋根構造とは独立した床構造によって支えられている。また、ロティ島西部には地上から直接棟木を支える棟持柱にかわって、サヴ島の場合のように、屋根裏に二本の棟束を立てる形式がある(9)。
サヴ島の場合と比べて、ロティ島の家屋に船のイメージが希薄なのは意外かもしれない。しかし、葬式に現われる船信仰の強さをみると、ロティ島に船を表徴する文化がなかったわけではないことがわかる。
死者の遺骸は東側のウマ・デアックに、頭を東に向けて横たえられる。棺桶はコパ<船>という。これは丸太をくり抜いて作られ、<頭>と<尾>を持っている。葬式の際には、棺を家屋と平行に、<頭>を東に、<尾>を西に向けて置き、この中に遺骸をおさめる。こうして、儀礼の間中、頭を東に向けていた棺と遺骸は、埋葬の際に(オランダに禁じられる以前には、サヴ島のように家屋の床下に埋葬された)はじめて死者の国のある西へと頭を向け直し、「フカとワニの群がる海をこえて航海をする」と考えられている。棺は、家屋と同様に、竜骨ケニックをもち、頭と尾をそなえた船を象徴しているのである(10)。
ロティ島の「フェト・ボイネ」という民謡には、祖先の来歴について「セラム、ベルからやってきたという先祖の物語に帰る」と歌われている(11)。先祖がセラム島起源だという話はロティ島民のあいだには広く信じられていたらしく、「祖先たちはセラム島に由来し、キサール島、ティモール島中部を経てティモール島の北岸沿いに移動してロティ島に上陸した」という伝承が伝えられている(12)。東インドネシアの小スンダ列島やその延長上にある島々では、たいていどのクランもそれぞれの祖先伝承を有していて、他の島からの由来を伝えるものが多い。ある場合にはそれはすでに水没したという島だったりするが、多くは実在する。セラム島というのはロティ島の約千キロ北東にある、マルク(モルッカ)州中部でもっとも大きな島のことである。
また、ティモール島のブナック族ではサヴ島の祖先との伝説上の契約に由来する友好関係が今日でも守られているが、これの類話、「ベル・マウ、サヴ・マウ、ティ・マウの子孫たちは決して争ってはならない」という民間信仰はサヴ島やティモール島中部のベル地方でも生命を保っている。そして、ある場合にはこの説話にはロティ・マウ、キサル・マウ、プス・マウ(スマウ島:ティモール島西端の小さな島)が加わっている(13)。
こうした伝承の真偽は確認しようがないけれども、ここで名のあがったサヴ島、ロティ島、ティモール島、キサール島には、いずれも船とのアナロジーを示す建築文化をみることができる。しかし、建物の構造はそれぞれまったく独自のスタイルにしたがい、一見すると、とても建築的な類似性があるようにはみえない。
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Pemerintah Daerah Kabupaten Rotendao
Rote berstatus sebagai kabupaten dengan nama Kabupaten Rote Ndao melalui Undang-Undang Nomor 9 Tahun 2002.
Wikipedia
It has an area of 1200 km²..... Along with some other nearby small islands, such as Ndao, it forms the kabupaten (regency) of Roti Ndao, which in 2005 held an estimated population of 108,615.
Wikipedia
ROTE: 123,000 to 133,000 in ethnic group. Rote Island southwest of Timor and on adjacent Timor Island around Kupang and Semau Island. Dialects: ROTE-TIMUR (LANDU, ROTE-RINGGOU, RINGGOU, RENGGOU, OEPAO, LANDU-RINGGOU-OEPAO, RIKOU), BILBA-DIU-LELENUK (BILBA, DIU, LELENUK, BELUBAA), ROTE-TENGAH (TERMANU, PADA, TALAE, KEKA, TERMANU-TALAE-KEKA, BOKAI, KORBAFO, KORBAFFO, KOLBAFFO, LELAIN), BA'Ä-LOLEH (BADÄ BA'A, LOLEH, LOLE), TII (TI, THIE).
Ethnologue
WESTERN ROTE: Dialects: OENALE-DELHA (OENALE, UNALE, DELHA), DENGKA.
Ethnologue
After the Dutch invaded Roti in 1681, it became a source of slaves. Roti provided soldiers for the Dutch army and, after the Rotinese ruler converted to Christianity in 1729, they petitioned the Dutch to provide schools. The Rotinese became an educated elite, and are still very prominent in West Timor today. the Dutch favoured the Rotinese's advancement and migration to Kupang to counter Timorese power.
Facts About Timor
一般に、垂木に屋根の小舞を固定するには、tua (ロンタルヤシ)の葉柄部分の表皮 fepa をもちいる。チガヤの固定には、tua や tula (グバンヤシ)の葉脈部分をもちいる(後者が強い)。また、tula の若葉を編んだロープを polo [Lalao]、akinak [Sunsa] といい、帆船などで利用する。
Indonesia: kayu kula, fuli kaa (Timor). Philippines: molave, amugauan, sagat
Tree Conservation Information Service
Indonesia: Asan, athan (Aceh); sena, hasona, sona (Batak, Sumatera); asana, sana kembang, sana kapur (Minangkabau, Sumatera); aha, naga, naakir (Sulawesi Utara); tonala (Gorontalo); lana (Pulau Buru); na, nar (Pulau Roti); nala (Pulau Seram); angsana, sonokembang, sana kapur (Jawa); cendana merah, kayu merah (Nusa Tenggara Timur); linggua (Maluku); ligua (Ternate, Tidore); sonokeling (Kalimantan)
Mengenal Pohon Angsana dan Berbagai Khasiatnya
Nama Lokal : Gelam (Sunda, Jawa), ghelam (Madura), inggolom (Batak); Gelam, kayu gelang, kayu putih (Melayu), bru galang,; Waru gelang (Sulawesi), nggielak, ngelak (Roti), ; lren, sakelan (Piru), irano (Amahai), ai kelane (Hila),; irono (Haruku), ilano (Nusa Laut Saparuna), elan (Buru).; Bai qian ceng (China).;
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