フローレス島中部の山地に居住するリオ族のもとでは、円環状の石積み広場を中心にその周囲を家屋 Sao が囲む集落形態をとる。あるいは、川上 ghele(一般に北)/川下 ghawa(南)の方位を軸線として平行に家屋がならぶ集落のこともある。なかでも Sao Ria (大きな家)と呼ばれる氏族の中心家屋は棟の高く上がった東インドネシア最大の木造建築。集落内にはこうした家屋群のほか、男性成員の溜まり場にもなる吹き放ちの納骨堂 Bhaku や米倉の Kebo などがある。
Sao Ria (大きな家)あるいは One Ria (大きな内)ともいう。また Jopu 地方では Lepa Hubu Bewa (棟の高い家)と呼ばれ、蒲鉾屋根の Lepa Benga (板の家)に対して、新しい外来の家屋形式とされる。Sao Ria は氏族の中心家屋で、窓のない暗い屋内にはさまざまな儀礼上の施設がみちている。どれも神聖にして禁忌の対象である。
建築空間の構成は、板壁で囲われた屋内広間 one ria / maga ria の四周に小部屋 rimba をめぐらし、入口のある平側に一段低いベランダ tenda / maga を配した格好。広間を囲う竪板壁の上框(梁)中央から棟木を支える棟持柱 mangu (船のマストを意味する)が立ち上がり、ちょうど風をはらんだ帆のように、建築空間全体を高い寄棟屋根がおおっている。
環状広場に面する場合、Sao Ria はつねに川上側に立地する。屋内へはいるには、川下側にあるベランダ中央の扉 pene をとおり、左右の小部屋 rimba にはさまれた廊下 loro を抜ける。広間へはさらに扉がある。Sao Ria では、扉(開口)の下框 kata mbawa はつねに船の形に彫刻されている。この第2の扉をはいると、正面(川上側)の壁の一部に benga toko という彫刻された板がある。祭祀を司る族長 mosalaki の座を象徴する。広間の隅には供物台ともなる平石が並べられ、象牙や剣などの祖先伝来の聖具が置かれている。これらに対面する入口側、扉の左右に様式的な炉 waja の設備がある。waja nggana (右の炉:川上側/上座からみて)あるいは waja puu (主炉)は日常の調理に、対して waja nggeu (左の炉)は儀礼の際の肉の調理に使用される。広間の右側には全体を板で囲われた密室 rimba peti (箱部屋)がある。この部屋の中には炉がもうけられ、家宝をしまい、族長が(儀礼的に)眠る場所とされている。
広間の中央に棟木 isi rubu から長いロープで供物台 tenda teo が吊り下がる。この供物台は kanda と呼ばれ、中には祖霊を奉る平石 watu kanda が安置されている(Jopu 地方では7人の族長に肖る7つの小石)。棟にやどるとされる祖霊 ana wula leja (月と太陽の子)に捧げるためである。棟に連なる棟持柱 mangu の下にも平石が置かれている。儀礼の際には、屋内に置かれた石のひとつひとつに供物を捧げねばならない。
竪板壁で囲われた人間の生活空間、そして神に捧げられた巨大な屋根裏空間の全体を平石に載った床束 leke が支えている。床束には太い丸木のほか立石が利用される。また、家屋の中心とされる平石 watu koe lewu (床下に埋める石)/ watu puse (臍の石)が床下 lewu に据えられている。
① wake leke para (第一柱を立てる): 床束のなかで最初に建てる第一柱 leke para (位置については諸説あり)の礎石上にブタの血を注ぎ、ご飯と肉、ヤシ酒を供えて床束を立てる。すべての束が立て終わると共食。
② wake mangu (棟持柱を立てる): 壁や床の建設がひととおり終わると棟持柱 mangu を立てる。一連の作業は、夜中、人目につかないようにおこなわねばならない。棟木を据える pusi isi rubu と、盗んだブタ(自分の所有するブタではいけない。首狩り風習の名残という)を屠り、その血を塗る。赤い布を竹にしばり、棟木に立てる tu tumbu lambo jawa。これは屋根の準備ができたことを村人に知らせる合図である。
③ leja ate (屋根を葺く日): 屋根 ate の小屋組を組み上げ、屋根葺きの準備が整うと、屋根葺き日の前夜に盛大な宴会 pai pu'uki をおこなう。翌日、屋根葺きが終わるまでゴングが打ち鳴らされる。
Sao Ria をはじめとする建物の屋根はチガヤ kii で葺かれている。リオのチガヤ葺きは他の地域と異なる独特なもので、事前に屋根パネルをこしらえることをしない。屋根の垂木 soku に等間隔の横桟 eba をわたしておき、この横桟をはさんで、穂先が外を向くようにチガヤの束を折り返してゆく。これだけで根先のある屋内側は下の段のチガヤ束に隠れてみえない。
屋根葺きの当日、屋根の下地(垂木と横桟)が整うと、屋根葺きの番人 mete を屋内に迎える。mete は貴族の若い男女で、赤い服をまとい、黄金の胸あて gabe をして、炉端(男が右の炉、女が左の炉)に腰掛ける。屋根葺き作業が終わると、mete は家を出て敷石広場 hanga (kanga) を反時計回りに3回まわる。その後、スイギュウ、ブタなどを殺して相互扶助の参加者にふるまう。
④ pusi watu koe lewu (臍石を据える): 屋根葺きを終えた日の夜、族長の手で床下に watu koe lewu を据える。ブタの血をそそぎ、ご飯、ブタ肉、ヤシ油、水を置き、平石を据える。大ザルに赤米のご飯を山盛にし、ブタの脂身をそのまわりにならべて来客たちにふるまう。
⑤ robo kii (チガヤを切る): 4日後、軒先のチガヤ kii を家長がすこしだけ切り、残りを大工が切りそろえる。
⑥ nai one (家にあがる)/ kaa muku (バナナを食べる): robo kii のおこなわれた日の夜、家の炉でバナナを焼き、茹でた鶏肉を小さく刻んでバナナとまぜる。この儀式が済むまで、女性は家で寝泊まりすることができない。
Jopu 地方の家屋は、もともとリオ族の特徴である Lepa Hubu Bewa (棟のあがった家=Sao Ria)ではなく、ヴォールト状の屋根を載せた Sao Banga / Lepa Benga (板の家)だった。こうした蒲鉾屋根は帆船 kowa を模したものと言われる。Lepa は漂海民 Bajau のもとで家船をさす言葉でもある。お隣ンガダ県の首都 Bajawa は Bajau の転訛とも言われているから、この形式は家船の痕跡を示すのかもしれない。Jopu には1986年当時2棟しか現存していなかった。
家屋は東西に棟を向けた妻入り。妻側にベランダ tenda がとりつき、竪板壁で囲われた屋内へはベランダにひらいた扉を通してはいる。屋内は間仕切壁を境に前後の2室 hado にわかれている。それぞれの部屋には、川下(南)側の壁面に接して炉の設備がある。上座である川上(北)側に座り、炉に向かって右手(調査家屋では西側)にある部屋 hado puu (主室) が左の部屋より大きく、主人夫婦の寝所にあたる。また、間仕切壁の上座側に立つ壁柱 wisu puu は儀礼の対象となる心柱にあたる。
屋根の棟木を支える3本の真束 mangu (船のマスト)が壁梁(板壁の上框にあたる)の上から立ちあがる。中央の真束には儀礼の供物をささげる tenda teo (吊棚)がかけられている。ベランダの上だけは外界を仕切る天井がはられ、小さな屋根裏 lena がある。扉をしめると窓のない屋内は真っ暗な空間になる。
こうした建物全体を下部構造がささえる。床束 leke は平石の礎石 watu wa にのる石場建だが、中央の束(柱)leke para のみ掘立にされる。かつてこの束を建てる際には首狩りした頭蓋が埋められたという。首狩りの風習がなくなって以降、盗んだブタ(自身の所有は不可)の頭が代用されている。
Bhaku は Sao Ria と同じような棟の高くあがった屋根をもつ吹き放ちの建物で、洗骨した遺骨を納めた棺を小屋裏に置く。高床構造の上に4本の柱 wisu を立ちあげて軸組を築き、その上に棟木を支える束(棟持柱)を立てる。この棟持柱を船のマスト mangu と呼ぶのも Sao Ria と同様、壁を欠くものの、建築構造の基本は Sao Ria と類似する。Sao Ria がおもに女性たちの居場所であるのに対して、Bhaku は未婚の男たちの溜まり場として利用されている。
死体はいったん埋葬された後、数年を経て儀礼の準備が整うと遺骨を掘り出し、布でつつみ、木棺に移して Bhaku や Sao Ria のベランダに安置する。あるいは、死体をサトウヤシの幹でつくった棺桶に容れ、榕樹/ガジュマルの木に吊して風化させた後、木棺に移すこともある。これらは祖先として祀られる特別な者だけに許された風習だった。
蒲鉾型の屋根を載せる米倉 Kebo は Jopu 地方独自の家屋形式 Sao Banga / Lepa Benga (板の家)を踏襲したもの。
井桁に組んだ土台 liti の上に柱 leke を建て、木組の壁構造を載せている。柱上には円盤形の鼠返し laba をもつ。同様の穀倉はボロブドゥールのレリーフにも描かれているから古代に遡る構造形式であろう。スラウェシ島のバダ地方にも類似の米倉がある。