ブナッ Bunak / Bunaq / Buna' はティモール島ベル Belu 県から東ティモールにかけての北部山岳地帯に存在したラマクネン Lamaknen 王国の住人である。Bunak語はパプア語系に属すとされるが、西ティモールで約15000人、さらにそれ以上の数が東ティモールに居住しているといわれる。
1987年当時、ラマクネン王国の中心 Kewar に行くとしたら、雨期には腰まである川を歩いてわたり、急斜面の坂道では乗っていたトラックを降りて引っ張りあげるだけの覚悟と、東ティモール境界に位置するために必要な数々の政治的手続きを克服する忍耐力が最低限要求された。
Kewar の村には巨石文化の痕跡をしめすさまざまな記念物がある。環状に石敷をめぐらした慣習会議(とくに重要なのは慣習違反者に対する裁判)のための広場 mot を中心に、石積みの祭壇 bosok や記念石 bau、首狩の戦果を飾る柱 ai-manu、石の祖先像 aitos などがおかれ、そのそれぞれに男の、女の、四大王の、貴族の、といった意味があたえられて、村の空間全体がいわば構造化されている。以前は、こうした巨石記念物を取りかこんで、船を伏せたような楕円形平面の慣習家屋が建ちならんでいた。1987年当時、Kewar には巨大な旧王家の氏族の中心家屋 Deu Hoto がたった一棟のこされていた。
家屋のことを Deu という。日本のイエもそうだが、この地域では一般に建築物としての家屋とそうした家屋にもとづく人間関係とは同じ言葉で表現される。Deu もまた家屋であると同時に家屋に住む共同体の意味があり、ひとつの出自集団は同じ屋根の下に住まうものと理解されている。現実には、慣習村にあるのは集団の中心家屋であり、各メンバーは村の周辺や新村にあたらしく現代的な(たいてい粗末な)家を建てていることが多い。Deu の伝承する宝物や聖なる炉石 lalian por は中心家屋に安置され、特別の祭宴のある時には集団全員がそれぞれの属する中心家屋に集まるのである。このような中心家屋を Deu Hoto (hotoは炉の「火」を意味する)という。
Bunak の家屋の起源に関しておもしろい言い伝えがある。
祖先たちはティモール島をさまよううち東ティモールの Turultuk Siolwa で出会った。この時、彼らは三個の石を持ち寄ってそれに腰をおろし、お互いの血をヤシ酒に注ぎ、これを飲んで友好の誓いとした。この誓いは hulo lep と呼ばれる。のち三個の石は持ち帰り、炉にすえられた。彼らのうち Bele Mauk の子孫はラマクネンに、Sabu Mauk の子孫は南ベルを経てサヴ島に、そのほかの者たちもティモール島内のあちこちに移り住んだ。彼らは新しい土地に上陸しても住むべき家屋を持たなかったので、船を裏返してその場の住まいとした。
ここには、伝承のかたちで船型家屋の起源や神聖な炉石の由来、中部ティモールの Belu族やサヴ島との関係が語られている。さらに興味深いのは、この時の友好の契り hulo lep が現在でも Bunak、Belu やサブ島の住人のあいだで生命を保ち続けていることだろう。家屋の建設に相互扶助は欠かせないが、このとき婚姻に基づく親族間の結びつき malu ai とならんで hulo lep は重要な役割を果たしている。ちなみに、malu ai では女を差し出す与妻者 deu malu は女を受け取る受妻者 deu aiba'a の家族より高位にたつことになる。構造主義人類学のお手本通りだ。
1979年に Ekin 村の Deu Hoto の屋根の葺替えが行なわれた時には、儀礼のために家畜の供犠を行ない、約1週間で牛(本来は水牛)5頭、豚10頭、それに2トン半の米が協力にかけつけた人びとにふるまわれたという。
Deu Hoto は長円形の平面に亀の甲のような屋根がのり、まるで日本の竪穴住居のようにもみえる。屋根の棟 deu maten には竹片を交差させた棟飾りがのり、さらに、王族の家では水牛の頭を模した妻飾りがつけられている。地上まで葺きおろされたチガヤの屋根をくぐると、なかには高床の建築空間がひろがっている。
高床を支える束も屋根の軒先を受ける周柱も、地上に掘立てられた柱にただの丸太は1本もない。床下に林立する柱はすべて独特の形に掘り込まれ、槍や櫛の図像が彫刻されている。槍は男の象徴であり、櫛は女を象徴するという。象徴的な2本の棟持柱 nulal lor (海の柱) と nulal hoto (火の柱)、そして棟持柱左右に立つ4本の主柱 lirus だけが丸太のまま彫刻を免れている。
建物周囲の土間空間 Golin からは奇数段の階段 letek で家屋前面のベランダにのぼる。高床上は棟持柱の位置を境に3つの空間にわかれている。入口前のベランダ Lakok Lor、屋内 Deu Mil、そして炉 hojol のある領域である。規模の大きな王族の家では、この領域を屋外に移して背後にもベランダ Lakok Hoto を追加していることがある。さらに屋内中央を走る床梁 otan によって Deu Mil は Deu Mil Lor と Deu Mil Hoto に二分されている。
Lakok Lor は主人と子供以外の男性成員の居場所であり、訪問客はここで迎えられることになる。目にはいるのは壁面いっぱいにずらりとならぶ乳房の彫刻。家屋の壁面は巾40~50cmほどの縦板をならべたもので、どの板にも乳房と迷路 (豊穣と繁栄の象徴) をモチーフにした浮彫が彫られているのである。まさに壮観。屋根裏は板でふさがれて見えないが、じつは屋内からはりだした屋根裏部屋 Toren Lor になっている。屋内へはいる扉 tajuk には、乳房と迷路ばかりか、時には人物像や鳥の浮彫まで施されている。上下の軸吊穴にはめこまれた扉を押して屋内 Deu Mil にはいる。
Deu Mil は炉の炎だけがたよりの真っ暗な空間である。Lakok 側の壁際に神聖な棟持柱 nulal lor (海の柱) が立っている。nulal lor はさまざまな祭祀の対象になる柱で、収穫後のトーモロコシの初穂を結びつけ、儀礼で供犠した水牛の角や祖先伝来の神聖な器物、剣などがかけられている。柱の足元には平石の祭壇 lor bul が置かれている。祖霊や (良い) 精霊への供物はこの平石に捧げるのである。
Toren Lor にのぼる梯子が壁面の片隅に取り付けられている。ベランダの上にある屋根裏 Toren Lor は家屋内でもっとも神聖な場所、祖霊の依代が安置され、儀礼を執行する者以外がこの梯子をのぼることは禁じられている。
屋内の中央附近に30cmほどの高さの敷居がみえる。左右にわたされた床梁の otan で、その上から盛大に彫刻された2本の飾り柱 sete が立ちあがる。otan は男女の領域をわける境界であると同時に、同一氏族の成員同士の結婚を禁ずる(交差イトコ婚が理想とされる)禁忌の象徴でもある。
屋内は otan の前後でふたつの領域にわかれる。nulal lor のある手前側の Deu Mil Lor は家屋内でおこなうもろもろの儀礼の場で、葬儀の際には死者の遺骸をこの場所に横たえる。老人たちの寝所でもある。
otan より奥、nulal hoto (火の柱) の立つ Deu Mil Hoto は調理と食事の場。主人夫婦はここで寝る。木枠で囲った炉 hojol がつくられ、祖先の手で運ばれたという聖なる炉石 lalian por が鎮座する。出産後40日のあいだ、産婦はこの炉端ですごさねばならない。
大きな家では正面側のベランダ Lakok Lor と対称に、nulal hoto の外に壁をたちあげ、背後にもベランダ Lakok Hoto をもうけている。こちらの天井裏 Toren Hoto は食物や炊木の置き場である。家族の成員が多くなれば、Deu Mil の側面に床を張りだして寝室 Loka Lolon (長い部屋) を追加することもある。
氏族の家 Deu Hoto の屋内には Loka Por (神聖な部屋) という箱のような小部屋がある。家財を保管し、儀式の際には族長や新婚夫婦がこの小部屋で眠る。
家屋の建設にあたって、最初に立てる柱は高床を支える四隅の束 giri lirun (隅の柱) である。日をおいて2本の棟持柱 nulal lor と nulal hoto が立てられる。この両日は、それぞれ柱を地面に埋めたあとで儀礼をおこない、建設中の熱い柱を冷ますために、水牛と豚を屠ってその血を柱の足元に注がねばならない。これプロセスは、giri による床組の建設と、nulal による小屋組の建設というふたつの構造要素の結合を暗示している。続いて棟持柱の左右にある4本の主柱 lirus を立てる。nulal と lirus は小屋組を支える主要な柱であり、これらを除くすべての柱や床を支える束は彫刻で飾られている。giri、nulal、lirus の下には貨幣を埋める習慣があり、これらの柱は象徴的にも家屋の屋台骨を支える柱とみなされている。
The Bunak (also known as Bunaq, Buna', Bunake) are an ethnic group that live in the mountainous region of central Timor, split between the political boundary between West Timor, Indonesia, particularly in Lamaknen District and East Timor.
Wikipedia
Population 50,000 in East Timor, 50,000 in Indonesia (1977 Voegelin and Voegelin). Region Central interior Timor Island, south coast. Alternate names Buna', Bunake, Bunaq.
Ethnologue
Bunak villages often consist of individual settlements. In the mountains, the people live on swiddens (land that has been cleared by "slash and burn" agriculture) for part of the year. After harvesting the crops, however, they return to their home villages. Each village has a sacred house, with a custodian priest and a surrounding taboo area. Because of former coastal warfare, villages and isolated houses are surrounded by stockades. Bunak descent is traced through both the males and females, and the circle of kinship is divided into various sub-groups. The center, however, is the nuclear family, composed of a man, woman, and their children.
Joshua
LAMAKNEN: The region has long been disputed between the colonial powers Portugal and the Netherlands . After the Lisbon Treaty (1859) Lamaknen was assigned to the Dutch colonial territory....1933 Lamaknen described as a union of Bunak kingdoms of Makhir Lamak Senulu Kewar, Leowalu Loonuna Nualain Lakmaras and Dirun. The ruler of Dirun held the title of Fetor, while the other were called Raja by the Dutch. The Loroh of Lamaknen was made traditionally by the rajas of Kewar and Lakmaras, wherein Lakmaras presented the inactive reigning ruler who symbolized the unity so that Kewar came out actually reigning ruler.
Wikipedia De
Bunaq terdiri dari suku atau klan atau “deu” dalam bahasa Bunaq. Deu ini bersifat exogam, unilateral, tradisional.
Dalam hubungan “hulo lep” semua “deu” (dengan anggotanya) berkedudukan sama dan sederajat.
Dalam hubunga “malu ai”, “deu malu” (deu pemberi perempuan) berkedudukan lebih tinggi daripada “deu aibaa” (deu penerima perempuan).
Dalam hubungan “dasaq rak” , deu yang ditetapkan menjabat susuatu fungsi adat (Loro, Nai, Holgomo, Rato, Tamukun, Makleat) terpandang dalam masyarakat, terlebih dalam upacara-upacara adat.
Kebudayaan Suku Bunaq