しばらくおまちください
データ整理のために製作&公開しています。
写真にマウスをかざすと拡大されます。
完成まで気長におまちください。
アチェの家屋 Rumoh は、建物の規模にかかわらずどこでも同一の構成を踏襲している。母屋にあたる Rumoh Inong をはさんで、前後に一段床のさがったスランビ Seuramou の取り付く三列構成で、梁行4×桁行4、ないし規模が大きければ、梁行は変わらず4×6列の柱が屋根と床を支えている。建物はつねに東西に棟が向くように建設され、南に面して入口にかかる階段がある。

Rumohの平面
正面のスランビ Seuramo Reungeun (Seuramo Keu) は来客をむかえる場所である。この空間は家屋内では公的で男性的な性格がつよく、儀式のさいには共食の場となり、また未婚の男子がいれば、ここが日常の居場所であり寝所でもある。
いっぽう裏側のスランビ Seuramo Likot は、東側に炉がおかれ、調理や食事など家庭内の活動の場になっている。
中央の Rumoh Inong は主人の寝室である。規模の大きな家では通路 Rambat をはさんでふたつの寝室 Jureu をもうけ、(メッカのある)西側が主人夫婦の寝室にあてられる。対面する東側は未婚の娘の寝室 Ruang Anjong (付属室) とする。
Rumoh Inong の天井裏 para は家財道具の収納場所になっている。
ACEH
Banda Aceh 1990

バンダアチェ博物館の敷地に建つ伝統家屋。1914年に、アチェの知事だった Van Swart が建設。
Lhok Nga (Lho'nga) 1990
Kab. Aceh Besar

Cut Nyak Dhien の家(Desa Lampisang)。Cut Nyak Dhien (1850-1908)はインドネシア独立闘争の英傑のひとりに数えられる。オランダとのあいだにおきたアチェ戦争で最初の夫を亡くすと、以降25年間にわたりゲリラを指揮、最後は捕虜としてジャワに幽閉され死亡した。1896年オランダ軍の手で放火焼失していた建物を1982年に復原し、博物館として公開している。

Leupung 1990
Kab. Aceh Besar
バンダアチェの西海岸沿いにひらけた土地。チョウジの生産で潤ったが、2004年スマトラ沖地震では震源にもっとも近く、津波により壊滅的な被害をうけた。
↓2007年の景観。海岸沿いにあった村は跡形もなく消え、生存者は7名のみ。津波後に入植してきた者の被災者住宅がならぶ。
Ingin Jaya 1990
Kab. Aceh Besar
Lubok Sukon村は壁面彫刻された家屋の多い(裕福な)地区として知られていた。2012年、観光村に指定されている。
Indrapuri 1990
Kab. Aceh Besar
バンダアチェから内陸におよそ25km、Kreun Aceh川沿いにひらけた農村地帯。地震、津波の被害はなし。

Mureu Baro村

防火の工夫。火事の際には軒先の鼻隠板を支える縄を切ることでタルキごと屋根葺材を下におとしてしまう。

床下
yup moh は高く、機織りや脱穀など日常の作業場であり、ニワトリ、ヤギなどの家畜の居場所にもなる。
Tangse 1990
Kab. Pidie
海抜1000mちかい高原にある豊かな土地。
GAYO
Gayoの家屋には複数の家族が同居する。そのため建築規模はAcehより大きいが、構造や空間構成はほぼ共通している。Lut Tawar湖のほとりにあるTakengonはマンダリンコーヒーの産地としても有名。
Pegasing 1990
Kab. Aceh Tengah

Ie Reulop 村にのこる妻行3間、桁行き5間の24本柱の家屋。棟を東西に向けた妻入りで、東側にベランダ
Lepo (現存せず)を介して男の入口、西側には女の入口があった。アチェ家屋ではスランビにあたる位置に各家族の個室
Umah Renong を配置し、中央通りを既婚男子のための広間
Tonjamu にあてている。
カロ・バタック
の家屋風の平面構成。10家族が共同で暮らした。もはや住む人がなくなり解体/修復を待つ状態だった。
Lut Tawar 1990
Kab. Aceh Tengah
Lut Tawar 湖(淡水の海の意味)のほとりに位置する。

Toweren 村にある1801年建設、Rumah Raja Belantoro (Belantoro王の家)と伝えられる家屋。家屋は棟を南北に向けた北面妻入り、中央に4室4家族の部屋があり、東西にスランビ
Serami を配したGayo独特の家屋形式。全体に彫刻多く、まだふつうの生活に利用されていた。近くの Linge 村にある Umah Edet Pitu Ruang (Rumah Adat Tujuh Ruang : 7室の慣習家屋)とはほぼ同一の空間構成をしている。


北側には家屋前面にベランダ
Lepo がある。このベランダから左(東)の入口をはいると男のスランビ、右(西)の入口をはいると女のスランビがひろがる。

家屋の背面南側にも男女それぞれの入口がある。

男性成員の居場所である東のスランビ。奥(南)の壁に面して炉
dapur がある。

各寝室
Umah Renong への戸口が東西のスランビにそれぞれ開く。ほかに通路はなく、個室を経由しないと反対側のスランビに抜けることができない。

家族の暮らす
Umah Renong。

穀倉
Keben。穀倉内は4つに分かれ、それぞれ樹皮をまるめた樽状の容器
bebeka に稻米をおさめてある。
Bukit 1990
Kab. Bener Meriah

Rejeguru 村。家屋は棟を東西に向けた南面平入り、平面構成はアチェの家屋形式とかわらない。1938年建設、1942年に屋根を波板にかえた。

正面側のスランビ
Serami Arap

中央母屋部
Umah Renong には通路をはさんで2室配置するアチェ形式。東側がつねに上位にある。

背面側のスランビ
Serami Kodok 扉の脇に炉
dapur がある。

穀倉
Keben。