ミナンカバウ | Minangkabau

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Rumah Gadang 平面









BATUSANGKAR 1990
ミナンカバウ文化の中心とされる。14世紀にジャワから派遣され、この地で王となったアディティアワルマンの事跡を記した碑文がある。
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"Rumah Gadang Kebo Rajo" は Limo Kaum の Datuk Bandaro Kuning が1910年に建設。実際の居住に利用していたrumah gadangのなかでもっとも美しく整った建物のひとつ
↓2011年。外観をたもつものの、小屋裏の部材は腐朽し、外壁装飾の劣化もすすんでいる。
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ヒジュラ歴1329(西暦1910)年の建設と記載がある
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↑1990年   ↓2011年Minangkabau
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PAGARUYUNG 1990
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パガルユン王家の始祖はアディティアワルマン王とされる。ただし、王宮は1976年に復元されたもの。2007年2月、落雷による火事で焼失。2011年12月現在、もとの敷地の後ろに場所を移して再建中。
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BALIMBING 1990
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Ruma Tuo Kampai Nan Panjang
350年前の建設とされる。1992年に文化財指定。
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1990 Batusangkar

Terletak di Nagari Belimbing sekitar 13 Km dari pusat kotaBatusangkar. Akses jalan menuju rumah gadang Kampai Nan Panjang sudah sangat bagus. Rumah adat ini berumur lebih kurang 300 tahun. Merupakan rumah hunian dengan arsitektur khas minang yang terdiri dari 7 biliak (kamar) dimana setiap kamar berukuran 1.5 x 3 meter. Keunikan yang lain yaitu pintu kamarnya berbentuk oval dengan diameter sangat kecil (30cm). Dan bagunan ini dibangun tanpa menggunakan paku. Sebagian besar bangunan ini “belum mengalami pembaruan”, baik dari segi struktur maupun bahan bangunan. Rumah Kampai Nan Panjang Batusangkar

Rumah Adat Provinsi Sumatera Barat (Rumah Gadang)

Sejarah Melayu


Adityawarman
アディティアワルマン(在位1347-1375)像。ジャカルタ国立博物館蔵。
アディティアワルマンはミナンカバウ人を父にもち、マジャパヒトの宮廷に生まれる。マジャパヒトのスマトラ遠征の結果、ジャンビのムラユ王国を支配下におき、やがて中部スマトラのタナ・ダタールに勢力をのばしてそこでミナンカバウの王家を建設した。
Kuburajo
Kubu Rajo 碑文。Adyawarmanの息子Adityawarmanがスヴァルナブーミ(黄金の国)の王としてやってきたとある。

Amoghapasha
不空羂索観音像。1349年、シンゴサリ王からスマトラのダトゥの結婚式にさいして送られた。ジャカルタ国立博物館蔵
1286年にシンガサリ朝(瓜哇)のクルタナガラ王がマラユの国に贈ったとされる不空羂索観音像はソロックで発見されている。その台座裏の碑文には、クルタナガラ大王の命により、ジャワの4人の役人によってジャワからスヴァルナブーミ(黄金の国)にもってこられ、ダルマシュラヤにたてられた。これはマラユの国のすべてのプラジャー(臣民)の喜びであった、と記されている。

渤泥國  龍山磅礴,地宇橫廣,源田種植,豐登甚利。氣候及夏稍寒,冬月極熱。俗好奢侈,男女一般椎髻,五綵帛繫腰,花布為衫。其國之民崇佛像,好齋沐。凡見唐人至其國,甚有愛敬,路有醉者,則扶歸家寢宿,以禮待之若故舊。煮海為鹽,釀秫為酒。酋長之用,不斂民物,生理自如。地產降香、黃臘、玳瑁、片腦。貨用白銀、赤金、色段、牙箱、鐵器之屬。
蘇祿國  居東海之洋,石奇堡障,山涂田瘠,種植稀簿。民下捕魚蝦生啖,螺蛤煮食。男女斷髮,頭纏皂縵,腰圍水印花布。俗尚鄙陋。煮海為鹽,釀蔗為酒。織竹布,採珍珠,色白絕品,珠有徑寸者,已值七八百錠,中者二三百錠。永樂十六年,其酋長感慕聖恩,乃挈妻攜子涉海來朝,進獻巨珠一顆,重七兩伍錢,罕古莫能有也。皇上大悅,加勞厚賜金印冠帶歸國。地產珍珠、降香、黃臘、玳瑁、竹布。貨用金銀、八都剌布、青珠、磁器、鐵銚之屬。

勃泥國在西南大海中,去闍婆四十五日程,去三佛齊四十日程,去占城與摩逸各三十日程,皆計順風為則。
其國以版為城,城中居者萬餘人,所統十四州。其王所居屋覆以貝多葉,民舍覆以草。在王左右者為大人。王坐繩床,若出,卽大布單坐其上,衆舁之,名曰阮囊。戰鬭者則持刀被甲,甲以銅鑄,狀若大筒,穿之於身,護其腹背。
其地無麥,有麻稻,又有羊及鷄魚,無蠶絲,用吉貝花織成布。飲椰子酒。昏聘之資,先以椰子酒,擯榔次之,指環又次之,然後以吉貝布,或量出金銀成其禮。喪葬亦有棺斂,以竹為轝,載棄山中,二月始耕則祀之,凡七年則不復祀矣。以十二月七日為歲節。地熱,多風雨。國人宴會,鳴鼓、吹笛、擊鈸,歌舞為樂。無器皿,以竹編貝多葉為器盛食,食訖棄之。其國鄰於底門國,有藥樹,取其根煎為膏,服之及塗其體,兵刃所傷皆不死。前代未嘗朝貢,故史籍不載。 (『宋史』卷四百八十九「外國五」勃泥)

浡泥,宋太宗時始通中國。洪武三年(1370)八月命御史張敬之、福建行省都事沈秩往使。自泉州航海,閱半年抵闍婆,又踰月至其國。王馬合謨沙傲慢不為禮,秩責之,始下座拜受詔。時其國為蘇祿所侵,頗衰耗,王辭以貧,請三年後入貢。秩曉以大義,王旣許諾,其國素屬闍婆,闍婆人間之,王意中沮。秩折之曰:「闍婆久稱臣奉貢,爾畏闍婆,反不畏天朝邪?」乃遣使奉表箋,貢鶴頂、生玳瑁、孔雀、梅花大片龍腦、米龍腦、西洋布、降眞諸香。八月從敬之等入朝。表用金,箋用銀,字近回鶻,皆鏤之以進。帝喜,宴賚甚厚。八年命其國山川附祀福建山川之次。

  萬曆中,其王卒,無嗣,族人爭立。國中殺戮幾盡,乃立其女為王。漳州人張姓者,初為其國那督,華言尊官也,因亂出奔。女主立,迎還之。其女出入王宮,得心疾,妄言父有反謀。女主懼,遣人按問其家,那督自殺。國人為訟冤,女主悔,絞殺其女,授其子官。後雖不復朝貢,而商人往來不絕。
  國統十四洲,在舊港之西,自占城四十日可至。初屬爪哇,後屬暹羅,改名大泥。華人多流寓其地。嘉靖末,閩、粵海寇遺孽逋逃至此,積二千餘人。萬曆時,紅毛番強商其境,築土庫以居。其入彭湖互市者,所攜乃大泥國文也。諸風俗、物產,具詳『宋史』。 (『明史』卷三百二十五「外國六」浡泥)


蘇祿,地近浡泥、闍婆.洪武初,發兵侵浡泥,大獲,以闍婆援兵至,乃還.永樂十五年(1417),其國東王巴都葛叭哈剌、西王麻哈剌叱葛剌麻丁、峒王妻叭都葛巴剌卜並率其家屬頭目凡三百四十餘人,浮海朝貢,進金鏤表文,獻珍珠、寶石、玳瑁諸物.禮之若滿剌加,尋並封為國王.賜印誥、襲衣、冠帶及鞍馬、儀仗器物,其從者亦賜冠帶有差...萬曆時,佛郞機屢攻之,城據山險,迄不能下。其國,於古無所考。地瘠寡粟麥,民率食魚蝦,煮海為鹽,釀蔗為酒,織竹為布。氣候常熱。有珠池,夜望之,光浮水面。土人以珠與華人市易,大者利數十倍。商舶將返,輒留數人為質,冀其再來。其旁近國名高藥,出玳瑁。 (『明史』卷三百二十五「外國六」蘇祿)

『明史』によると、渤泥は明の洪武年間(1368-1399)の初め、おそらく1370年直前に蘇祿の侵攻をうける。この戦いに蘇祿は大勝利したが、闍婆の援兵が来たので退却したという。渤泥をブルネイ、蘇祿をスールーの王国とみるのが通説だが、この記述はミナンカバウ(ソロック)の王国がジャンビにあったムラユ王国(渤泥=仏代=三仏斉)を攻撃した史実をさすのではなかろうか。不空羂索観音像はこのときにソロックに持ち去られたのかもしれない。



jua : タガヤサン(鉄刀木)。マメ科センナ属の広葉樹で、インドネシアでは一般に johar / juar と呼ばれる ( トバ | Toba)。鉄木と俗称されることもある堅く重い木で建物に利用すれば数百年もつといわれている。ミナンカバウの家屋では柱、棟木などの構造材に最適だが、現在は見つけるのが困難。[Senna siamea]
Wikipedia "Johar"
Wikipedia タガヤサン


surian : スリアン(別名カランタス)。センダン科(Meliaceeae)Toona属の広葉樹で、インドネシアで一般に surian / suren と呼ばれる( ササック | Sasak : トバ | Toba)。ミナンカバウでは家屋全般に利用する。材質は比較的柔らかく、ミナンカバウのゆたかな壁面彫刻はスリアンなしでは考えられない。[Toona sureni]
bibit kayu
森のかけら


baiur : バユール bayur。アオギリ科プテロスペルムム属の広葉樹。スリアンとならんで彫刻によく板材に利用される。葉の裏には白い柔毛の繊維があり、この裏皮を剥がして火をおこすさいの火口にする。[Pterospermum spp.]






©minpaku digital archives : 3D drawing of MAYA by Takayuki Sui @ espa
Minangkabau House "Rumah Gadang"
Rumah Gadang "Kebo Rajo", Limo Kaum, Batusangkar, Sumatra Barat, Indonesia
[文献]

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