長屋住まいには貧乏と人情が欠かせないほど、都市の庶民生活の舞台としておなじみのものだが、長屋は都市住民だけの専売特許ではない。かつて東南アジアやニューギニアの山間部では、ロングハウスと呼ばれる一種の長屋に住まう風習がひろくおこなわれていた。こうしたロングハウス共同体も、近代的な消費経済の単位として核家族が重要になるにつれ、しだいに一戸建ての家屋へと解体する趨勢にある。けれども、家屋はたんに快適な生活をいとなむための装置であることをこえて、そこに住まう人間や社会の性格さえも左右する。現代社会の危機がさけばれる現在、人類がロングハウスのような家屋空間をもちえた理由をもう一度吟味しておく必要がありそうだ。
島の大部分が熱帯雨林におおわれたボルネオでは、ごく近年まで河川を利用する以外に陸上交通の手段がなかった。そのため、今も多くの民族集団が川沿いに点々と高床のロングハウスをきずいて生活をいとなんでいる。ロングハウス自体は一棟の家屋であると同時にひとつの村でもあり、最盛期には百メートルをこえる長さに達するものまであった。こうなると家屋というよりも町並みとでも呼んだほうがふさわしいのかもしれない。じっさい、ロングハウスのなかにはかならず通路をかねた共有空間がとられ、籐細工や脱穀など日々の作業や、収穫祭などの祭宴の場として利用されている。そして、ちょうど町屋のように、各世帯の暮らす居室空間はこの通廊に面して戸口をならべているのである。 半公的な性格をおびた通廊に対して、各世帯の居住空間は許可なくはいることのできない私的領域になっている。もっとも、居室のなかはもともと間仕切りのない一部屋でできていたし、隔壁の材料は樹皮やヤシの葉などにすぎなかったから、所詮は隣家のようすもつつぬけだった。しかし、だからといってロングハウスの生活がプライバシーの希薄な開放的なものとかんがえるのはまちがっている。それどころか、むしろロングハウスの社会では、自己のプライバシーをさらすことが、かえって他人の権利を侵害してしまうとして忌避されている。
ロングハウスをおとずれるとしたら、背丈よりも高い梯子をのぼって、まず通廊空間に足を踏み入れることになる。そこで来客は訪問先の家族の接待をうけるばかりでなく、ロングハウス中の人間と触れ合う機会をもつだろう。突然おとずれた来客を平然とむかえいれ、寝泊まりさえゆるしてくれる社会の鷹揚さは、現代住宅では不可能なほど融通無碍な空間が生み出すものだ。民族によって事情は異なるにしても、ロングハウスに暮らすのはかならずしも血縁関係や姻戚関係にある家族ばかりではない。けれども、それがただの寄り合い所帯にはならずに、どんなに長大なロングハウスに発展しても、ひとつのロングハウス共同体でありつづけるのは、こうした共有空間が物理的な建物のなかで保証されているからであろう。ロングハウスを構成する各世帯は、自分たちの居室を建設するのにあわせて、その前にひろがる通廊部分も分担する義務を負っている。通廊は個人が社会に参加していることを目に見える形でしめしているわけである。この公と私の空間の絶妙のバランスこそ、ボルネオのロングハウスが近代化のなかでもけっして陳腐にならずに営々と受け継がれている理由なのではないかとおもう。
人はなぜあつまって住まうのだろう。わずかなプライバシーを確保するために汲々としている現代人にしてみれば、わざわざ人間関係の苦労を背負い込んでまで集住するのはできれば避けたいというのが本音だろう。人間は誰でも社会のなかでかけがえのない存在であろうと欲しており、プライバシーとは、言ってみれば、そうした個人のアイデンティティを確立する方途のひとつであるにすぎない。ロングハウスと、現代のアパートやマンションとの大きな違い、それは、なかに暮らす住人を特定しないことによって、はじめて商品として流通する現代の長屋に対して、ロングハウスはそれぞれの部屋の住人の手で建設され、けっして代替可能な匿名の個人が住むのではない点にある。鬱蒼と大地をおおう熱帯雨林のなかで、ちっぽけな個人として生きてゆくかわりに、共同でロングハウスを建て、そこにつどい暮らすことが、なによりも満ち足りた生を生きる喜びをもたらしたのだった。一体全体、たったひとりで生きている人間に、個人のアイデンティティなど確認しようがあるだろうか?
1999-10-07 (Thu) 03:10 |