月刊みんぱく 22-7 1998年7月 pp.15〜17 ホームレスホーム訪問記 |
南向き、日当たり良好、都心に近く、交通の便はすこぶるよし。敷金、礼金、保証金の類はいっさいなし、おまけに家賃はタダ。 |
■通称墨田川テラス。整然とならぶビニールハウスの景観は、まるで団地や建て売り住宅の縮図を見せつけられるような驚愕をさそう。 |
建設費一万円の「隅田川テラス」 春の訪れを感じさせるうららかな青空がひろがっていた。霙まじりの冷たい雨のたたきつけるなか、どの家もかたく扉を閉ざしていた前日とはうってかわって、川沿いの遊歩道には、必要な生活物資の補給やら寝具の虫干しに立ちはたらく住人たちの姿があった。同一形式のこぎれいなビニールハウスが、遠慮がちに一定の間隔をおいてならぶさまは、ホームレスという言葉の響きとはまるでそぐわない、どこか小市民的な光景だった。 |
■プナンは熱帯雨林の小木や立木を利用して数週間の生活のために彼らの住まいを建設する。手間のかかるヤシの葉にかわり、現在は手軽に持ち運びのできるビニールシートを屋根に利用する。まさに森のビニールハウス。 |
現在をたのしむ移動民プナン ボルネオの熱帯雨林にプナンという狩猟採集民がいる。彼らは数家族があつまって小さな集団をつくり、森のなかを移動する生活をおくっていた。いまは森林伐採の邪魔になる者たちを定住させようという政府の方針にしたがって、プナンの多くは家屋をあたえられ、農耕の手ほどきを受けはじめている。だが、定住家屋を持ったといっても、プナンが狩猟採集民としての心性をうしなってしまったわけではないのだ。彼らは月の大半をあいかわらず森のなかのキャンプですごす。彼らが育てるのは放置しておけばいつでも収穫可能なキャッサバやバナナであって、何カ月も先の収穫のために現在を投資することはしない。 |
■暖房を兼ねた石油ストーブに火をおこし、捕れたての獲物を料理する。小麦粉のすいとんは都市の狩猟採集民として生きる彼らのいわば主食である。 |
昼餐の味噌汁はパンの味 もう食事は済んだのかと聞くので、まだだとこたえると、年長のAさんはわざわざ自分の家までもどり、ビニールで包装されたジャム付の食パンを二袋もってあらわれた。彼は家の扉に鍵をかけていた。こうした生活を選択したからといって、生きる気力もない、経済的に破綻した者ばかりではないのだ。まだ封をきっていないから大丈夫、わざわざそう言いながらAさんは私にパンの袋をすすめてくれた。日々の食事にも事欠く(と信じられている)人びとから示された好意に、私は意表をつかれた。どう対処してよいかわからぬまま、一袋だけありがたく頂戴して、だまってその乾いた食パンを口にはこんだ。 |
■まったくあたらしいタイプの都市生活者が登場しはじめている。ホームレスの農耕民、それは人間として生きることへの叫びではないだろうか。 |
永久の住まいを得る代償は…… 不況になったとはいっても、あいかわらず新聞の折り込み広告には、毎日のように住宅産業のつくりだす蠱惑的な宣伝文句がおどっている。多かれ少なかれ、そうやって平和な家庭生活を演じるための永久の住まいを得る代償に、私たちは社会をになう戦士の一員として、その制度のただなかに組みこまれてゆく。住まうことは実存の本質的特質である。ある哲学者はそう書いている。いまや、人間存在の本質は、商品経済を底辺で支える消費活動のなかに現前している。こうして私たちの感じている漠然とした不安は、生産活動の拠点でもなければ、家族や労働の再生産の基地とも無縁な住まい、まさに社会制度の手からこぼれおちた粗末なビニールハウスに焦点をむすんでしまう。私たちの手にしている住まいは、じつは人間としての健全な自己形成をさまたげる足枷でしかないのではなかろうか? 1998.06.03(Wed) 14:05 |