布野修司(編)『見知らぬ町の見知らぬ住まい 住居の空間人類学』 夢をつむぐ…都市の採集狩猟民 |
これは現代に生きる採集狩猟民の風よけだ。おどろくことはない。人類三〇〇万年の歴史のうち、九九・七%まではいっさい生産活動をおこなわず、ただ自然の恵みにたよる採集狩猟生活をおくってきたのだから。川のほとりか、すくなくとも水道栓のちかくに、所有権のおよばぬ手頃な空地をみつけて、つかのまの居住地をさだめる。つかのまが一日であっても、一生のことであってもたいしたちがいはない。そこに四本の木の枝を突き立てて、枝の先を横木でむすびあわせ、こうしてできた骨組みのうえに段ボールをのせるだけだ。風よけといっても風がよけられるわけでなし、たとえ太陽の直射はふせげたにしても、毎日のようにおそう熱帯のスコールのまえに、紙の屋根はひとたまりもない。けれども風よけは、都市という大自然のなかで、彼らがひとつ屋根の下に身をよせあい、生きてこの世にあることの証明だから、風よけのない彼らじしんなどは存在しないから、力強く、たくましく建ちつづけるのだ。 住まいが生活の反映であり、生活は思想の反映であると信じていたのは、昨日みた夢のつづきだったろうか。いったい思想も、生活さえも風化してしまったあとには、どんな住まいがぼくらの夢をつむいでゆくことだろう。とりたてて立派なものでも、風変わりなものでもなくていいから、存在のあかしなんかもいらないから、本気でかんがえたくもないから、一所懸命生きてきて、あるとき気がついてみたらなんとなくそこにあるような、人間の身体のような、そういうふうに建築もできないものだろうか。 1990.07.30 |