建築雑誌 114-1439 1999年6月 p.3

草屋根の摩天楼



Bana男性集会所

■ベトナム中部高地、モン・クメール系バナーの人びとの共同家屋。屋根裏には共同体のシンボルである始祖や英雄の依代(石や水晶)が置かれ、供犠した水牛の血で浄める儀式がおこなわれる。

 天空高くのびあがる屋根、その巨大にデフォルメされた屋根の中身は何かと言えば、じつはからっぽ。屋根を形づくる骨組以外、この世の人間の目にふれるものがない。屋根裏を占めるのは超自然の精霊や祖霊とその依代だからである。この神聖な屋根裏空間を舞台に、選ばれた者だけが、しかるべき機会のたびごとに儀礼をおこなう。そのため、ふだん屋根裏にのぼることはおろか、時には屋根裏を見上げることさえ禁じられている。
 つまりは、屋根のになう意味の重大さが、そのフォルムの異常な発達をうながした。こうした屋根建築は、東南アジアの島じまに散ったオーストロネシア系民族の特長で、材料にはチガヤやヤシの葉の類がもちいられる。古墳時代の埴輪家などを見れば、どうやら日本にもその影響がおよんでいたことは確実のようだ。

NIAS首長の家

■インドネシア、ニアス島の首長の家。巨大な屋根のなかは、屋根自体を支える小屋組で満たされている。かつて棟木の近くには、天上神にささげる無数の頭蓋骨が吊り下げられていた。

SUMBA氏族の家

■インドネシア、スンバ島の家屋。がらんどうの屋根裏には父系祖先の祭壇があり、氏族を象徴する祖先伝来の神器が安置されている。収穫祭にさいして、特別な資格をもつ人間だけが屋根裏にのぼり、神器を降ろすことができる。

 それにしても驚くべきことに、人間の生活空間は建物全体の1割にも満たない。一体全体、このような建物を人の住処と呼ぶべきものかはあやしい。たいがい古くからある家のなかは昼でもうす暗く、よどんだ空気が重くのしかかる。それにもかかわらず、住人たちがじっと我慢の年月をしのんできたのは、そもそも家の主人が人間などではなく、屋根裏にひそむ霊たちのほうだからであった。言ってみれば、人間どもは、彼らの仲間入りをするまでのわずかな今生の生活を、屋根の下の間借人としてすごしているにすぎない。
 それが証拠に、定住を開始する以前の狩猟採集民社会では、家族の誰かが死ぬとしばしば住んでいた家を捨てて移動した。死者を弔い、その霊魂を浄める手段を知らないから、ほかに仕様がなかっただけの話である。彼らの家こそは、正真正銘この世に生きる人間だけの住処であって、死を避けることはおろか、出産さえも別に産屋をもうけておこなう徹底ぶりである。人間の理解のおよばぬ超自然の事柄をつとめて身の回りから遠ざけ、そうすることで、はじめて成り立つ住まいもある。いやなに遠い過去の、遠い異国の物語ではない。都市社会に生きる現代人の住宅事情のことである。

1999-04-17 (Sat) 02:57