建築人類学者のまなざし3

リセット感覚を超えて

季刊民族学 97, pp.81-84 (2001)

 鉄腕アトムが登場してから今年でちょうど五〇年になる。舞台は二〇〇三年、ロボット人口がふえ、ロボットの行動を規制するロボット法が施行された年という設定だった。
 ロボット法第一条 ロボットは人間をしあわせにするために生まれた。
 ロボット法の第一条はロボットの使命をそんなふうに宣言していた。漫画に登場するロボットたちは、みな人間と変わらぬ感情をもっている。ときには人間に反抗するロボットもあらわれたし、なにより、文明の進歩も悪事をしでかす人間をなくすにはいたらないのだった。ロボットとくらべると、人間のほうこそ、いつも失敗ばかりするどじでまぬけな生き物にすぎなかった。それでも、漫画のえがかれた当時、生きてゆく目的は、だれもが明快に実感していたようにみえる。社会をしあわせにすることが、自分じしんのしあわせにむすびつく。そんな手応えが、人間の子供たちと机をならべて、真剣に勉強するロボットの姿にかいまみえる。
 ところで、人間の心の善悪を感じとる人工頭脳に一〇万馬力(のちに改良されて一〇〇万馬力になる)のパワー、六〇か国語を自由にあやつり、一千倍の聴力をもつ耳とサーチライトの目を駆使して、ジェット噴射で世界中を飛びまわる。まるで神さまのようなスーパーロボットのアトムにも大きな悩みがあった。なにひとつ不自由なく暮らしていても、人間の友だちにとってあたりまえの家族がアトムにはないのだった。ロボットを生みだした科学文明は、そんなアトムの苦悩をほうってはおかない。そうして、ただアトムのおとうさんとおかあさんを演じるだけのために、存在感の希薄な二体のロボットがつくられることになった。




クローン

 ロボットの活躍する時代は漫画の世界のなかだけで終わりそうな雲行きだが、人間そのものをつくりだす試みはそれよりもはるかに現実味をおびている。
 先ごろ施行されたクローン法(「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」)は、クローン胚を人や動物の胎内に移植することを禁じている。クローン胚は、未受精の卵子から核を取り去り、かわりに体細胞の核を移植してつくる。だから、理論のうえでは、自分とまったくおなじ遺伝子構造をもったクローンをつぎつぎと複製することもできる。
 クローン羊ドリーの誕生が報じられた一九九六年には、そうしたコピー人間の開発にむすびつくからと、ヒトクローン胚の研究にたいする拒否反応はすさまじいばかりだった。それから五年もたたずして、もはやクローン技術をぬきにしては移植用の臓器や新薬の開発さえおぼつかないところまで現実はすすんでいる。ドリーのお国もとのイギリスでも、ヒト胚の研究を規制する法律をわざわざ改正してまで、クローン胚の研究利用をみとめることになった。
 もっとも、人間が人間を規制するのは、ロボット法ほど理屈どおりにはいかないようで、さっそくクローン人間づくりにのりだすことを表明する宗教団体や医者のグループがあらわれる始末。人工授精をしてでも自分の子供がほしい。しかし、宗教的、倫理的な理由から夫以外の精子のうけいれをこばむ社会があることは容易に想像できる。そのジレンマをクローン技術は解決してくれる。
 生命の尊厳をまもれ、とそれに反対する側の社会は叫ぶかもしれない。生命の神秘にふれようとしたフランケンシュタイン博士やモロー博士のむかしから、小説や映画のえがく世界はたいがい共通している。人間のつくりだした「怪物」が、人間のコントロールをはなれて、彼を生みだした人間自身にしっぺがえしをする。「神にたいする冒涜」の末路はいつでも不毛で陰惨なイメージにいろどられていた。
 それにしても、こうした話題が、直接の当事者でもない人間の関心をこれほどまでに呼びおこすのはどうしてだろう。
 議論の推移を予測するのはさしてむずかしいことではない。結局のところ、おきてしまった既成事実のあとから、議論はいつも追いかけてゆくだけだから。人間という一般名詞を想定し、そこからこぼれおちてしまうとかんじる人間=患者がいて、そうした患者を救済することがある種の正義とかんがえられるなら、現代の医療はきっとその患者を見捨ててはおかないだろう。
 けれども、そのときに、一般的だと信じられていた人間像自体が、いつのまにか私たちの知らない何物かへと変わっている。それはこの世によってたつ私たち自身の存在基盤をゆりうごかさざるをえない。そして、その恐れが、この問題をまえに、私たちをおののかせる。タブーにふれるとは、こういう感覚をいうのかもしれない。





生殖医療

 たとえば、私たちのあずかり知らないところで、「家族」の読みかえはこんなふうにすすんでいる。
 試験管ベビーという名で、体外受精がはじめられてからおよそ二〇年、子産みのプロセスと肉体的な男女関係とはべつべつに論ずることが可能になった。卵子も精子もドナーから提供をうけた代理母(借り腹)出産では、産まれてくる赤ちゃんには、遺伝子上の母、産みの母、育ての母の3人の母親と遺伝子上の父、育ての父の2人の父親が存在することになる(戸籍上の両親が養育者とべつにいればさらにふえてしまう)。しかも、これらの人間同士が現実に接点をもつかどうかは、出産という事実とまったく関係しない。一九八六年にアメリカの代理母出産でおきたベビーM事件(代理母契約をむすんだ女性が出産後に子供の養育権も主張した)は、こうした人間関係のあやうさを世間に知らしめる結果になった。
 子供を所有できるモノとみなしている。女性を生殖の道具に還元してしまう。そう批判してみても、血をわけた子供がほしいと患者に切望させているのは、ほかならぬ世論の力なのだ。
 代理母や非配偶者間の体外受精がみとめられていない日本でも、毎年一万人以上、全体の約一パーセントの赤ちゃんが体外受精で生まれている。子宮をうしなった姉にかわって、代理母になった妹が出産する。それをささえた医師の行為にいまさら大騒ぎしても、事件の背景はよほど先を行っている。妻の妹から卵子の提供をうけて(非配偶者間の)体外受精をおこなったとして、おなじ医師が日本産科婦人科学会から除名処分をうけたのは三年まえのこと。現在、厚生労働省のすすめる「先端生殖医療に関するガイドライン」では、もはや議論の焦点は、精子や卵子提供者の範囲をどこまでみとめるか(匿名第三者だけか、親族をふくめるか)にシフトしている。
 法律が不備なのではない。国内で規制をうければ、それが可能な国外へ脱出するだけであることをみな承知している。アメリカの代理母と契約することで代理母出産を請け負う組織が日本にもある。一回あたりの費用は渡航費をふくめておよそ一千万円。生殖医療の適用範囲について議論がなされているそばから、ドナーの精子をつかって子供を出産した独身女性があらわれたりする。未婚女性でも子供をもつ「権利」があると言われて、いったいどんな反論が可能だろう。子供をもうけるゲイやレズの家族について、海外のメディアはつたえている。
 家族という制度へのこだわりやそこに介在する血への執着が、生殖医療をささえている。ところが、そうしたこだわりの結果として、家族や、家族を保証してきた国家の輪郭はつよまるどころか、反対にぼやけてゆくようにみえる。
 いまや、私たちが理解したつもりだった家族の実態は、つぎのような言葉によってしかあらわすことができないようだ。

一人の子どもが生物的な父と社会的な父、あるいは生物的母と社会的な母、さらには育ての親が離婚・再婚した場合には、社会的な父や母が二人以上になるかもしれない。このよう事態が起こること自体は、決して悲劇でも、「家族解体」などというパニックなどでもない。それらの事態を「悲劇」や「パニック」にしてしまう社会的要因にこそ注目しなければならないとわたしは思う。むしろ、「生殖」にこだわり「血」や「遺伝子」にこだわる中で、自己同一化してしまう母子関係(父子関係も同様)とは異質な親子関係が、そこに仄見えているとは言えないだろうか。(池田祥子『[女][母]それぞれの神話:子産み・子育て・家族の場から』明石書店、一九九〇~「生殖技術に対する疑問・批判の言説」http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa)




無痛分娩

 人間の代理母にかわって、体外受精した胚を人間以外の動物の体内や人工子宮でそだてる技術がいずれは登場するかもしれない。究極の出産ビジネス。げんに施設分娩の現場では、硬膜外麻酔をもちいた無痛分娩が関心をあつめている。
 そもそも出産は病気ではない。にもかかわらず、いまでは九割以上の産婦が家族と切りはなされ、患者として病院などの施設で出産をむかえる。たしかに新生児や妊産婦の死亡する危険はすくなくなったが、そのかわりに出産は、はしかやインフルエンザのように、産婦が孤独にたちむかうべき私的な苦役のひとつにすぎなくなってしまった。近代医療はそうした個人の苦役をとりのぞこうとこころみる。
「ニコニコと痛みのない楽なお産をして、早く社会復帰して、もっとクリエイティブなことにエネルギーを使うことこそがこれからの女性の有意義な生き方」(あるクリニックの宣伝)と言われて、それを打ち消すべき明確な言葉はうかばない。
 妊娠や出産から死と隣りあわせの恐怖をとりのぞいたのは、戦後になしとげた医療制度の普及のたぐいまれなる成果だった。医師や助産婦の出生証明書がなければ出生届すら受理してもらえないという事情もある。ひとりでは生まれることも死ぬこともままならない社会に私たちはいる。それでも、施設分娩では実感できない自分らしさをとりもどすために、わざわざ高度医療を排除して、自宅での自然分娩をのぞむ女性がふえているのも事実らしい。





水中出産

 水中出産という、日本ではめずらしい分娩手法に世間の注目があつまったのは、不幸なことに水中出産で生まれた嬰児の亡くなる事故がつづいた一昨年のことだった。
 事故の原因は、出産にもちいた二四時間風呂にあると判明したが、ことはそれだけではおさまらなかった。背景には、医師や助産婦の手をかりずに、家族だけで出産しようとする過激な自然分娩の実践があったからだ。
 事故に関係したのは、とある団体のもよおしたセミナーの受講生ばかり。病院医療との決別をうたい、出産を利用して新興宗教まがいの洗脳をおこなっている。小児科学会や助産婦会はそう反発し、当時の厚生省は名指しでこの団体の活動に注意をうながす事態になった。
 騒動の顛末はともかく、出産の宗教的側面を事件はひさびさにおもいださせてくれた。それに、自宅の風呂場で子供を産むとは! 現代住宅に、いまもそんな空間がのこされていたことが新鮮な驚きだった。施設分娩の割合が在宅分娩をこえたのは一九六〇年代にはいってからで、つい五〇年ほどまえには、出産は自宅でしかむかえようのないものだった。




産屋

 福井県の若狭地方には、比較的近年まで産小屋をもちいる風習があった(『若狭の産小屋習俗』文化庁文化財保護部、一九九一)。産小屋が建てられるのは、たいてい人家を避けた集落のはずれや海岸沿いで、家の火をけがさないように別火を焚き、分娩がおわっても、一定の日数をそこですごしてからでなければ、自宅にもどることはゆるされなかった。
 若狭にかぎらず、明治年間までは、日本各地にこうした産小屋の風習がのこされていた。産小屋のない地方では、たいてい納戸や寝間と呼ばれる民家のもっとも奥まった薄暗い部屋にこもって産をむかえた。ふだんの主人夫婦の寝室である。通常は、ここに家財をしまい、稲籾をまつっていた。しかも、出産期間中の食事は、家族の食事をこしらえるのとは別の火で調理して、産婦のもとにはこんだ。
 ようするに、自然な在宅分娩といっても、出産が日常の生活空間から執拗に排除されていたことにかわりはない。死の忌とならんで、産の忌という。周囲の人びとと絶縁した状態をたもつために、産婦をわざわざ産小屋や納戸に隔離し、食事を別にしたといわれる。産褥死のおそれとあらたな生命の誕生。ふたつながらの境界状態に、出産はたちあうことを意味していた。そうした出産にたいする人びとの態度は、ケガレというより恐怖の念にちかいものだったという。
 出産が住まいのなかから産院などの施設へうつされてきた背景には歴史の必然があった。ひとことで言えばそういうことなのだろう。そして、そのかぎりで、出産はいまも私たちの日常性から排除されたままなのかもしれない。





リセット感覚

 神戸の小学生による児童殺害事件にふれて、哲学者の鷲田清一がこんなことを書いていた。

命を産むという男と女の「自然な」過程が、ほんとうは自然ではなく、破綻しもすれば解消もやりなおしもできる操作可能な過程であることを情報として日常的に垂れ流しているのは、「おとな」のほうではないのか。避妊や中絶、離婚や不倫、こういった言葉がテレビから聞こえてこない日はない。そういう人生のリセットを自分たちがたえずしながら、他方でたまごっちにリセットボタンがついているからといって、命のリセット感覚を憂うという、この偽善を見てしまったら、言葉のあまりの軽さに唖然として、以後どんな言葉も本気では口にできなくなるほうが自然というものだ。(『週刊金曜日』一九七号、一九九七~「神戸市北須磨の児童虐殺事件をめぐる発言」http://bun70.let.osaka-u.ac.jp/NL2)

 そして、事件の背景として、ニュータウンには「無意味な場所」、つまり「街に居場所がないと思う人間が、外の世界を感じ、「まだ生きていける」という気分に辛うじてなり得る場所」がないことを指摘していた。
 生殖医療がひきよせる遺伝子本質主義には、人間同士がつちかってきた絆よりも個人にそなわる遺伝的な形質を尊重するという姿勢がある。それは「個々人の「歴史」の軽視」であり、「家族や赤ん坊を獲得すべき商品(所有、欲望の対象)」とみなすことにつながっていると出口顕はいう(出口顕『誕生のジェネオロジー:人口生殖と自然らしさ』世界思想社、一九九九)。
 ニュータウンの町並とおなじように、遊びのない遺伝子空間の未来がそこに透けてみえる。遺伝子の組み合わせが多様なのは、人と人とをつなぐ歴史のふかみがもたらした結果にほかならない。遺伝子本質主義は、そうした遺伝子自体の歴史性さえ否定しようとする。均質な遺伝子構造をもつ集団のあいだでは、いくら世代交代をくりかえしても時間は停止したままだ。クローンというのは、つまりそうした無時間性の象徴なのである。

 リセット感覚は、現実と非現実の区別がつかなくなった子供たちに向けられる言葉ではないのだろう。戦後の日本の住宅政策は、ずっとリセットをくりかえしながらここまでやってきたのだから。ニュータウンは、まっさらな土地を開発して、そこにリセット感覚で一からつくられた町だった。そのなかに建てられた住宅も、住み手がいなくなったとたんにリセットして、まったくあたらしく建て替えられるような代物だった。ながい時間をかけてつくりあげられた町にどうしようもなくたまる歴史の澱がそこにあるはずもなかった。
 そうやって、歴史を漂白しながらつくりあげてきた近代社会の魔法の鍵がリセット感覚なるものの実態だ。けれども、そのなかで生まれた子供たちは、いくらリセットボタンを押しても、もはや社会がリセットしないものであることを知っている。ニュータウンの住人はどこもいちように高齢化してオールドタウンとなったまま身動きできずにいる。ひとたび学校でおちこぼれれば、リセットのしようのない人生が待ちうけている。たまごっちやテレビゲームがリセットできたのは、せめてもの救いだったにちがいない。
 リセットしようのない現実世界の雑音や歴史の澱を、あるがままにうけいれてゆく心構えが必要なのだとおもう。人間も、家族も、はじめから均質でなどありえない。誰もがそうかんじながら、つぎのリセットを待っていたりする。そうではないのだ。真っ白なキャンバスなどはこの世のどこにも存在しないということを素直にみとめること。そうすれば、変化はゆっくりと部分から全体へなしくずしにすすんでゆくだろう。





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