空き缶ハウス Can House - Almican Dream

沖縄のビール缶屋敷カンカラヤー
「アルミカンドリーム:ホームレスの夢のまた夢ホーム あるいは夢のマイホームをタダ同然で手に入れる方法」
『新製品民俗学』2(2007.2), pp.112-115

 この空き缶ハウスをつくるのにもちいたアルミ缶は大小とりまぜて1万8千個にのぼる。路上生活をおくるひとりの男が、三ヶ月ちかい日数をかけて廃品の空き缶のなかから完形品だけをこつこつとあつめ、公園の水道でひとつひとつ丹念に洗浄したうえ、市販の金属ボンドをもちいて組み上げたものだ。

Can House
Can House by Tatsumi Masuoka
National Museum of Ethnology special exhibition "More Happy Every Day" 2005

 もっとも、空き缶を闇雲に積み上げれば家ができるというほど話は単純ではない。丸いアルミ缶を接合する際のわずかなズレは、積み重ねるほどに大きな狂いを生じる。その結果、壁の高さが人の身長ほどにもなると、まっすぐ自立することさえ困難な状況にたちいたってしまう。これに対して、男の編み出した解決法は、あらかじめ空き缶で柱と梁をこしらえ、建築学でいうところのラーメン構造で家の骨組みをつくっておくというものだ。こうすれば、柱にはさまれた壁体が多少歪んでいようが建物全体の構造に支障はない。
 これで安定した建物ができあがるとしても、空き缶にかならずあるプルトップの穴がくせ者だ。この穴をそのまま放置しておくと、そこに雨水やゴミがたまり、不測の事態をひきおこさないともかぎらない。誤って指先を怪我する恐れもある。それをふせぐために、まず穴のある面同士をつなぎ合わせた空き缶ユニットをすべての作業に先だってこしらえておくのである。空き缶ハウスがぴかぴかに輝いてみえるのは、じつはこうした見えないノウハウの積み重ねがあってこそなのである。
 この類の蘊蓄は山ほど聞かされたが、ようするにタダ同然の家といっても、ここまで綺麗に建設するには、それなりに緻密な計算も美的センスも必要ということらしい。それになにより、材料あつめもあわせれば、この空き缶ハウスを完成させるまでに要した期間はじつに半年以上。誰にでも手の届く夢でありながら、誰にも到底真似のできない所業にもみえる。
 廃品回収はいわばホームレスの日々の生活の糧だから、自身の生業の片手間にこれらの作業をなしとげたのである。だが、そんなことで驚いていては事の本質を見誤る結果になる。

 空き缶ハウスは夏暑く、冬は寒い。そのうえ、地震ごときで倒壊のおそれはないにしても、風雨にはめっぽうよわい。空き缶同士のスキマから雨風は容赦なくながれこむ。台風でもきた日には建物ごと吹き飛ばされはしないかとびくびくものだ。
 あたりまえといえばあたりまえ、空き缶ハウスの住み心地は材料のアルミの特質そのままを受け継いでいる。これでは、いかにホームレスといえども、この家でまともな社会生活をおくるどころではない。そんな役にもたたないマイホームをいったい全体なんのために??誰しも感じる疑問は一緒だ。

 空き缶はビールなどの飲み物を入れる容器として生産されており(日本国民ひとりがおよそ毎日1缶消費する計算ときく)、中身がなくなってしまえば用済みとなって捨てられる運命にある。このゴミがリサイクル業者の手に引き取られる際にはアルミ素材分の価格、およそ1缶あたり1円半程度の値段がつく。これが路上生活を営む者たちの格好の収入源になっている事情はひとまずおく。
 日本ではせいぜいリサイクルの対象でしかない空き缶だが、アフリカのセネガルには、空き缶細工でつくられたバッグや玩具など、もはや伝統工芸の域に達したみごとな工芸品がある。ベトナムの街角では、色とりどりの空き缶でこしらえた飛行機やオートバイなどのミニチュアにまじって、実用品の空き缶帽子まで売られている。
 場所が場所なら、空き缶はブリキにかわる立派な金属材料なのである。空き缶をランプや灰皿がわりに利用するなどは世界の常識。ホモ・ファーベル(工作人)たる人類普遍の創意工夫の第一歩といったところか。
 だから、空き缶をゴミとしか見れなくなってしまった可哀想なわれわれ現代人には、空き缶ハウスの意味について謙虚に考えをめぐらしてみるだけの十分すぎる理由がある。

 この空き缶ハウス、建物を構成する1万8千個のアルミ缶も、家のなかに置かれた総数90点にならんとするさまざまな家財道具類――テレビ、電話、冷蔵庫はおろか、石油ランプ、ガスコンロ、アイロン、時計、さらにアンティックな帆船の模型や額、人形ケース、オルゴールなどの装飾品、鏡、傘、椅子、ゴルフクラブからカラーボックスにならべられたミニカーや『広辞苑』『家庭の医学』にいたるまで全部ゴミ。そのうえ、どこから見つけてきたか、木製サッシの観音開き窓にアルミサッシの突き出し窓、ご丁寧に屋根の棟にはシーサーの置物が鎮座し、煙突のうえでは剥製の鷹が翼をひろげているという念のいれようだ。これらすべてがゴミ、つまり、元の所有者によって用無しと宣告された物たちなのである。
 それにしても、ゴミ御殿ならぬこの空き缶ハウスの放出する得体の知れないパワーはいったいどこからくるのだろう。消費経済の終端ちかくに達したスクラップ直前の物たちが、最後の最後に一斉蜂起し、世界にむけてみずからの存在証明をつきつける。そんな妄想をかきたてるほど、どの物も輝いてみえるのはアルミ缶の反射のせいばかりではないはずだ。

Can House
Can House by Tatsumi Masuoka
National Museum of Ethnology special exhibition "More Happy Every Day" 2005

 かりに、ゆたかな物質生活というのがあるとして、やたらと持ち物を多く持てば実現できるのでないことくらいはすぐわかる。物に問題をおしつけることはできないから、つまるところ、それを利用する人間のほうの資質が問われるわけだ。
 本来、物の価値が人それぞれであるならば、あるいは、物にそなわる価値をみずから発見する能力さえ存分に発揮できるならば、ゴミなんてものはそうそう簡単にでるわけがないのである。しかるに、あまりにも画一的な評価基準でしか物の価値を決められないとなれば、そこからこぼれおちた物はたちまちゴミの烙印をおされてしまう。
 残念なことに、おせっかいすぎる商品はしだいに使い手の創意工夫の能力を枯渇させる。そうした商品ばかりでみちた世の中は、やたら手触りのよい紋切り型の表情しかあたえてくれなくなってしまう。すべての物があらかじめ決められたレッテルの範囲におさまりかえっていて、空き缶はいつまでたっても空き缶のまま。たまには、そんな日常に風穴をあけたくて、またぞろあらたな物にたよるという悪循環。ところが、かぎられた用途に特化したニッチな商品ほどツブシがきかず、たちまちゴミ化してしまうのが現実なのである。

 物を者と置き換えれば、空き缶ハウスにみなぎるパワーの秘密はずいぶんはっきりするのではないだろうか。空き缶ハウスの夢物語は、いつ落ちこぼれるかも、いつリストラされるかもわからない自分自身の身の上と重ねあわせたときに、はじめて意味をもつ寓話になる。

 この空き缶ハウスを製作したのは路上生活続行中の自称ホームレス増岡巽。2年前の建設当時、すでに大阪で路上生活2年目をむかえようとしていた。空き缶ハウスの製作はじつはこれが二作目で、2005年にみんぱく(国立民族学博物館)で開催した特別展「きのうよりワクワクしてきた。―ブリコラージュ・アート・ナウ―日常の冒険者たち」に出品するため製作された。第一作目は、路上に忽然と出現したまさに正真正銘の夢の空き缶マイホームだったが、あまりにも目立ちすぎたせいか、天下の公道を占拠した咎ゆえに数ヶ月でみずから解体する憂き目にあった。昨年は、銀座の画廊にまで進出して小型空き缶ハウス3号を実作するなど、アーティストなみの活躍ぶりでまわりの人間を驚嘆させた。 1号1号2号3号

 ところで、空き缶で家を建てるなどというとずいぶん酔狂な話にきこえるかもしれないが、人類の歴史にそくしてみれば、むしろ自然なふるまいといったほうがよい。稲作民族は米を食べるために稲を栽培する。そして、収穫のあとで大量にのこった稲藁は、稲作民族のもとに藁葺きの民家を生みおとしたのである。
 時はながれ日はうつり、男の元には稲藁のかわりに生活の糧でもある大量の空き缶があった。彼は、周囲の常識にしばられない自由な発想と、自分にあたえられたその能力を実現するための情熱とを、われわれよりすこしばかり余分にもちあわせていたというだけの話なのである。
 そのとき、社会生活の役にもたたないマイホームをいったいなんのために建てるのか?という問いかけは、いつのまにか、われわれ自身の夢のうえに重くのしかかっていることに気づく。(20070111)























掲載した写真はすべて国立民族学博物館特別展「きのうよりワクワクしてきた。」(2005)会場写真より