ボルネオの熱帯雨林には定住家屋をもたずに移動生活をおくる民族がいる。プナン、シハン、リスムなどの採集狩猟民が知られていたが、定住化がすすめられ消滅していった民族もある。プナン penan / punan の名で一括される集団(といっても民族的アイデンティティでむすばれた集団を想像しないほうがよい)はそのなかで最大規模の、かつもっとも有名な民族ということになる。定住するロングハウスをあたえられた現在でも、生活の大半を森のなかですごす者は多い。理由は簡単。現金収入がなければ、森のなかでなら生活費がかからないからである。
サラワク州のプナンはブラガ川をはさんで東西にわけられる。いずれの地方でも家屋はともに高床だが、比較的定住性のたかい西部型の家屋は東部型よりも床高がひくいとされている。以下に紹介するのはリンバン県にロングハウスをもつプナン。西部に属するが、家屋の形式は東部型にちかい。
とりあえずつくっておきます。当分未完成。
プナンが一定期間をすごす森のベースキャンプには、数棟から十数棟の高床式の小屋Laminが建てられている。これらのLaminを占有するのは夫婦とその子供たちで、これがいわばプナンの家族を構成している。家族といっても土地や財産などを相続するわけではなく、ひとつの家屋を共同で建設して、そこにある期間一緒に住まう人びととでも言うほうがよいだろうか。森の生活では、親子でさえ何十年も会わずにすごすことがめずらしくない。家族という単位が社会的な意味をもつのは、つぎにすすむべき場所について、つまり集団を離脱するかどうかの判断を家族単位に決めるところにある。
せっかくLaminを建設しても、実際にはほとんどの期間もぬけの殻のこともある。ベースキャンプを足場に、老人や小さな子供をのぞくメンバー全員が食物の獲得のために森への出猟を繰りかえすからである。こうしたとき、Laminは、さして多くはない所持品、たとえば、小刀、おろし金、フライパン、ナベ、水甕などの保管場所になっている。じっさい、Laminには間仕切はおろか外壁さえないことも多いから、外敵をふせいだり、プライバシーをまもる役目はあまり期待できない。
猟に出ないのこったメンバーは、キャンプ周辺の食用になるヤシの新芽や果実などの採集に従事する。吹矢を作成したり、カゴやマットを編む者もいる。プナンのつくる繊細なトウ細工のカゴやマットは市場価値が高く、交易品としても利用される。タバコや塩、それに衣類や金属製の調理用具などは、こうした周辺民族との交易で手に入れたものである。
イノシシなどの獲物があるとLaminに持ちかえり、メンバー全員で均等にわける。肉は切り裂いて木の葉でくるみ、保存のため炉の上の棚において薫製する。こうして獲物を食べつくすまではベースキャンプにとどまり、つぎの狩りに出ることはしない。
イノシシの捕獲がプナンの狩猟活動の中心なら、採集活動の中心はサゴ澱粉の採取である。サゴはヤシ科植物の幹のなかにふくまれるもので、プナンが食用にするのは、熱帯雨林に自生する野生のヤシである。水でさらしながら濾しとったサゴ澱粉を乾燥させ、数日分のたくわえとしてとっておく。このサゴ粉を水に溶かし、炉の火で加熱してできる澱粉糊をすくいとって食べる。
猟に出るさいには、吹矢と刀など食物の獲得に必要な道具だけを持ちはこぶ。交易で手に入れた犬を連れていることもある。猟はベースキャンプから遠く数日におよぶばあいもあり、そのさいには仮小屋のTapung(Sulap)を建設する。LaminとTapungは規模がことなるものの、建設の方法や材料の点ではほとんどちがいがない。
LaminもTapungも手近に入手可能な材料からつくられる。敷地の選択には、水場が近くにあることや周囲に手つかずの食料がのこされていること、といった狩猟採集生活上必要な条件のほかに、住まいを建てるさいに大量に必要な屋根葺材が容易に手にはいる場所がえらばれる。
プナンは熱帯雨林のなかに群生する掌状の葉をもつ低木のヤシをもちいて屋根を葺く。このヤシはプナンの間でda'unとよばれ、プナンは森のなかでどこに行けばda'unが容易に手にはいるかを知っている。
Lamin や Tapung が建設されるのは、強烈な太陽光線や熱帯のスコールの直射をうけることのない森のなかの平坦地である。倒木や土砂崩れのおそれのないことを確認し、朽ち木や切り株のない空間をえらぶと、下生えをはらい建設にとりかかる。
プナンにとって、樹木は森の動物などと同様に霊魂をもつ存在である。そのため、大木を切ることは禁忌とされ、家屋の建設にさいしても大木を使うことはない。敷地内に手頃な太さの立木があれば、そのまま柱に利用する。柱の足りない部分には、太さ5cm程度の木を切り出し、根元側をペン状に尖らせてから、地面に打ち込んで柱とする。
建物の大きさはそこに住まう家族の人数におうじてかわる。規模は大きければよいというものではなくて、屋根を葺くのに要する手間とのバランスなのである。一般に Tapung は片流れの屋根だが、規模の大きな Lamin では中央に棟木が必要になり、自然と切妻屋根になる。
建物の向きは風の方向を考慮して決められる。炉に火をおこしたさいに煙が屋内に流れこまないように、開放された建物の正面側を風下に向ける。ただし、ベースキャンプのように何棟もの Lamin が近接して建てられるばあいには、柱に利用できる立木の位置など、ほかの要因が建物の配置を決定している。
柱の位置がきまると、床を支える丸木を柱に固定する。こうした太い材同士の結合には、付近に自生するカズラやトウなどのツル植物が利用される。
そのうえにやや細めのまっすぐな丸木を密にならべて床にする。
屋根の骨組みなどの細い材の固定は、柱や横架材に二股の切れ込みをいれ、そのあいだに部材を挟みこむだけの簡単なものである。
屋根の da'un を縛りつける下地の横材も、斜めになった垂木に一定間隔の切れ込みをいれてそこに引っかけてゆく。
こうして建物の骨組をつくるのは男の仕事であり、ふたりがかりで一時間もあれば完成する。男たちが骨組を建設しているあいだ、女たちは屋根と壁に使う da'un の葉の採取と加工にとりかかる。プナンの家屋建設のなかでもっとも手間のかかる作業が、じつは屋根葺なのである。
da'un の葉は葉柄の先端から切り取ってたばね、敷地のそばにはこんでから加工する。
雨が漏らないように、葉柄の表皮を裂いてつくった縫糸をもちいて、掌状に先端のわかれた葉同士を互いに縫いあわせる。最外周の 葉だけは縫わずにのこしておき、この葉をもちいて、扇形に整形した da'un の葉を屋根下地にむすびつけてゆく。
外壁は開放されたままのことも多いが、必要があれば屋根とおなじようにして壁も da'un の葉でおおう。
建物の大きさにもよるが、およそ100~200枚の生長したda'unの葉が必要になる。ひとつの da'un の株から採種できる葉の枚数はかぎられているので、まとまった数のda'unが近くに群生していなければ、はじめからキャンプ地になりえないわけである。
こうして家屋の全体が仕上がると、丸木に刻みをいれた梯子をたてかけて出入口にする。
唯一の屋内設備である炉は高床のうえに丸太の枠を置き、そのなかに土をもっただけの簡単なもので、炉のうえには食物や薪の乾燥のための棚をもうけている。
小さな Tapung なら、家族のメンバーがおよそ三時間もかければ完成する。
プナンの家は壁もない粗末な小屋にすぎない。けれども、東南アジアのなかでもこれほど人間中心の住まいはないのである。
ふつう農耕民の家屋には、先祖代々つづく家の守り神をまつったり、豊作を祈願するための祭壇がもうけられている。それは、しばしばこの世に生きる人間の生活を犠牲にせねばならないほど重大な意味をもつものだが、プナンの家屋にはそうした空間上の制約がない。
それどころか、出産や死といった、人間のいとなみのなかでも超自然の領域に属することを住まいのなかから丁寧に排除している。ある意味で、現代住宅にちかい住宅観と言えようか。
子供を産むには、家屋の近くに仮小屋をもうけたり、わざわざ家屋の床下を利用する。その場で嬰児とともに数日間をすごしてからでなければ、家屋にもどることはできない。ようするに、出産は住まいのなかで起きてほしくない事柄なのである。
おなじように、家屋のなかで誰かが死ねば、そこにはもはや住みつづけることができなくなってしまう。遺骸は籠にくるんで家屋や森のなかに放置し、集落全体が荷物をまとめてすみやかに移動する。成員の死にさいして家屋を捨てる風習は、プナンにかぎらず、狩猟採集民のあいだにはひろく知られている。その理由は、彼らの死生観ともふかくかかわっている。
プナンも霊魂や死後の世界を信じていないわけではない。ただ、彼らには死者の霊魂と永続的なかかわりをもつ必要がないだけの話である。死は人間界とは別な次元の事象であって、プナンにとって、そのような刹那的な存在として人間はこの世に生を受けているのである。これは、おなじ場所に住みつづけるために社会全体で死を懐柔し、そうすることで祖霊と共存していかねばならなくなった農耕民の人間観とはまるで異なっている。そのとき、人生は祖霊になるための過程にすぎないからである。
プナンの人口:1985年には、サラワク州に約7600人、そのうち約3000人が森のなかで移動生活をおくると考えられていた[Chen 1990]。1988年の人口統計ではサラワク州で78村に9237人と報告されている。ただし、プナンの多くは国の発行する身分証明書をもっておらず、正確な数の把握は困難だろう。むしろ、プナンとはどのような民族カテゴリーなのかを問う以下の記述のほうが参考になるかもしれない。
However, the term Penan, or Punan, is conveniently used to refer more generally to mobile populations of inland Borneo or their descendants. Penan or Punan are the terms used by farming populations (especially in Sarawak) to refer to nomads. There are an estimated 20 000 people referred to by these names, nomads or descendants of settled nomads. There are also an estimated 3500 descendants of nomads that have settled down to swidden agriculture. Very few Penan are still mobile nowadays (less than 500).
CSAC-University of Kent
Eastern Penan: Sarawak, Apoh river district, east of Baram river. 10,000 in Malaysia (2011 SIL). Total users in all countries: 10,055. Alternate Names: “Punan”. Dialects: Penan Apoh. Not intelligible of Western Penan [pne] and Uma Lasan.
Ethnologue
Western Penan: Sarawak, Kapit Division, upper Baram and Balui rivers, Mount Dulit area, 3 villages; Nibong branch of Lobong river, a tributary of Tinjar river. 3,400 (2007 SIL). Alternate Names: Nibon, Nibong, “Punan”. Dialects: Nibong, Bok Penan (Bok), Penan Silat, Penan Gang (Gang), Penan Lusong (Lusong), Penan Apo, Sipeng (Speng), Penan Lanying, Jelalong Penan.
Ethnologue