中国には蛋民、蛋家(民)とよばれる水上生活者がいる。船で生まれ、船を住まいとして、一生をそこでおくる漁民の総称である。
香港では、魚の仲買商のもとで蛋民社会が組織されていたというから地上経済との結びつきはもとより強かった。60歳代の現役水上生活者たちも病院で産まれたというし、はやくから地上に拠点をもつ者は多かったようだ。
ひとつには経済的にゆたかになり、その蓄えの投資先として、またひとつには、子どもたちの将来や自身の老後をかんがえて、家船生活をつづけながらも地上に家をかまえることが人生の目標に変わっていった。1960年代から、政府も彼らのために公共住宅の建設をはじめている。かつては故郷の海岸近く、小高い丘をえらんで家族の墓地にさだめていたが、それもいまは公共墓地にあらためられている。
船がすべからく原動機をのせるようになり、海岸部の埋め立てのせいもあって、香港の水上生活はすでに過去の遺風となりつつある。子どもたちはみな地上の学校で高等教育をうけている。
水上に水産会社の社屋をかまえる蛋家の社長は、子どもが船に寄りつこうともしないことをなげく。香港の漁業はもうおしまいだ、と。
現在、香港にのこる水上家屋にはおよそ二種類の形態がある。
ひとつは家族が住み、自走して漁をするいわゆる木造家船の発展型で、いまはどの船もエンジンを積んでいる。
もうひとつはエンジンを積まず、避風塘(防波堤で囲まれた台風除けの避難場所)のなかで定住する水上ステーションの艀船である。いまは電気や水道などのインフラが整い、生業をになう船というより現代住宅にちかい進化をとげている。
いずれも幼少時に水上生活を経験した者たちが居住の中心で、地上に拠点をうつした子ども世代にはもはや縁のない生活世界になっている。
香港島中環から高速艇で約30分、飛行場のあるランタオ島の南に位置する小さな島。高層ビルはなく、海鮮料理を食べるために訪れる観光客でにぎわっている。家船の船体は何艘もみかけるものの、船頭たちは未知の客を他人の家船に案内しようとしない。観光用の渡し船を操船する元水上生活者にインタビュー。
大澳の病院で生まれる。40年前まで家船で生活していた。家船の生活は大変で、子どものときはあそび友達もいないし、結婚相手だって見つける機会がない。24歳のとき結婚と同時に家船を降りる。
いまは携帯電話があるからいいけれど、親兄弟といっても船を違えたらいつ再会できるかもわからない。結婚すれば、せまい船のなかで夫婦げんかばかり。父親が死んだときは手伝ってくれる者もなく、兄とふたりして死体を浜にあげて埋葬した。昔は土葬だ。いまは8割以上が火葬にしている。若者が町へ出てしまうため、老人ホームにはいる年寄りは多いよ。
台風がくると、こうやって屋根のスダレを全部おろして、船のなかで夫婦の営みをしたものさ。だから、昔は10人以上も子どもがいることが多かったね。
水産会社で働いていたとき船乗りの夫(68)と知り合い、26歳で結婚、4人の子どもがいる。子ども達は陸地のアパートで暮らし、夫はおなじ湾にいる別の船で暮らす。観光客の案内をして日銭をかせぎながら、彼女はこの船でひとり寝泊まりしている。朝食はたいていファーストフード。夕食だけは夫の船と寄せあい、彼女の手料理を一緒に食べる毎日。水は公園の水道からタンクに汲んでいる。もともと家船育ちとはいうものの、船で暮らすのはトラック野郎の船乗り・女性版にちかい感覚か。
運転席のまえには、商売道具にまじって手鏡、櫛と化粧品、それに持病の薬がおかれ、右側にプロパンを利用した調理場、左舷にはきれいな洋式便器が据えてある。トイレがないと文句を言う釣り客がいるからよ。客室の床をめくると、そこが彼女の寝室。布団と枕がおかれ、服をおさめた箱が周囲につみあげられている。
インタビュー中もさかんに携帯電話がなる。娘と中秋の計画。声の大きさは船乗りゆえか、応答の声は岸壁にいてもらくに聞こえそうだ。
ランタオ島の西端にある大澳は、MTR東涌駅からさらに車で小一時間、香港の原風景をとどめる町として観光名所にもなっている。海辺に建つ棚屋(杭上住居)の集落がいまも残り、海を基盤においた漁民の生活が息づいている。
大澳に生まれ、家船でそだつ。27歳のときに、都市近郊漁民の娘だった現在の妻(61)と結婚。男4人、女1人の子がいる。20年ほどまえに公共住宅が建ち、子どもたちはそこで暮らす。アパートの家賃は月1000~2000香港ドル。しかし、夫婦は末子家族と一緒に船住まい。仕事中も孫の子守をしていた。
実際に撮影したのは、係留中の夫妻の船に横付けしていた別の家船で、家主の伍××(6?)はこの船で妻とふたり暮らし。むかしは8人で住んでいたというが、この日は夫婦とも用事で出かけて不在だった。
家船の天井はひくく、腰をかがまなければ戸口を通らない。船尾の一段高くなった空間が調理場、右舷の床には穴を穿っただけの便所がある。一段下りた吹き抜け?空間が食器棚と食事の場、一画を仕切って倉庫兼寝室にしている。船首側左右の2寝室にはきれいに布団が敷かれていた。
MTR彩虹駅からミニバスで30分、九龍半島の東にある西貢は海鮮料理で有名な町、火山性の島々からなる地質公園の起点でもある。岸辺から見える位置に停泊中の家船をみつけて調査。
Plan of a boathouse in 西貢
2011.09.02
西貢生まれ。父親から譲り受けた家船に兄の家族とともに住む。おなじ西貢生まれの妻、徐××(45)とは26年前に結婚、2男(25,18)1女(22)がいる。
兄の李××(58)は前妻の蘇△△と死別し、大陸出身の水上生活者、蘇××(41)と仲人の紹介で9年前に再婚した。前妻とのあいだに生まれた娘(25)はアパート暮らし、現在の妻とのあいだには小学校に通う9歳の息子がいる。
兄弟夫婦とその子どもたち8人がこの家船に同居していることになる。船のライセンスを所有する弟が船主。船首側の部屋に弟夫婦、船尾の空間に兄夫婦、中央の部屋に彼らの子どもたちが寝る。船尾の部屋の隅には天后(媽祖)、関公、観音の三神を祀る祭壇がある。
従兄弟である李×の家船といつも行動をともにしている。妻の蘇△(44)も西貢生まれの家船育ちで、妻は1男(17)2女(18,20)の子どもとアパート住まい。家船は李×の船とほとんど同一形式で、船首側の空間が2部屋に分かれているのが唯一の相違点。この部屋に老女(母?)が同居している。
二艘の船は夕方から漁に出、早朝、獲れた魚を市場に売ってから、湾内の定位置に投錨する漁師生活。小学校にかよう李××の男の子は朝夕渡し船で地上と往復している。船ではニンテンドーDSに興じていた。
ふるくから漁村としてさかえた香港島東部の町。筲箕はザルのことで、湾のかたちに由来するという。むかしは台風を避けて湾内にあつまった漁船もいまは避風塘でまもられている。台風が去った後だからか、家船の姿はない。
家船でそだち、24歳のとき妻の馮××(55)と結婚、生涯水上生活者。3男(37,32,31)1女(34)は漁師になった長男をのぞいて地上生活に移った。
仕事に使う運搬船ほか2艘の船を所有。日常の住まいにしているのはエンジンのない水上船で、3LDK+屋上広間にシャワー、水洗便所付き、水道、電気、LPGは完備、エアコン、冷蔵庫、洗濯機、テレビもある船の上とはおもえないリッチな住環境。電気は地上から水中ケーブルでこうした水上住居に配電され、水(月400香港ドル)は水道会社がタンカーで配給にやってくる。家賃も税金もなく、かわりに船のライセンス料が年間4000~5000香港ドルかかるという。
お金持ちですね、の問いかけに、もっと金持ちの蛋家はいくらでもいるよ。と、沖合の大型船を指さし、私の運搬船なんか10万香港ドル程度のものさ。
香港島の南端、香港の水上生活といえばかならず出てくるほど有名な場所。いまは再開発がすすみ、林立する高層ビルを背景に動力船が行き交う。蛋家の帆船であふれた昔日の面影はもはやない。
この地で60年、アバディーン(香港仔)の移り変わりを知る生証人。船上で生まれる。比較的大きな家船は当時からたいていエンジンを載せていたという。おかげで漁撈活動の範囲は飛躍的にひろがったし、発電機も利用できた。およそ70年前に仲人の紹介で妻と結婚。そのときに払った婚資は100~300香港ドルだった。その妻とのあいだに7男3女(うち3人はすでに死亡)をもうけ、いまは10人の孫がいる。
妻は27年前に死亡したが、以降も水上生活をつづけ、現在住む家船は18年前に自らの手で建造した。モーターのない定住船で、船首に工房、その後ろは左舷側にリビング、右舷側を3室の小部屋に仕切ってある。地上から電気をひき、親戚の経営する水道会社が無料で水を配給してくれる。船体は古いが、小さな寝部屋にはクーラーもつけている。テレビや冷蔵庫はもちろん完備。食品は売りにくるし、1996年から使い始めた携帯電話は友人や家族とのコミュニケーションをいとも容易にした。独居老人であっても、ここでは老人は尊敬され、子どもや孫たちが時々ようすをうかがいにやってくる。何ひとつ不自由のない老後生活。
香港の蛋民:「鹹水蛋民」と呼ばれる、東莞周辺から移動して来た人たちが多数派を占める。広東語の下位方言のひとつである「蛋家話」を話す。広州や香港の広東語との発音の差異は小さく、会話に大きな支障はない。
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香港身份證:凡年滿11歲或在香港逗留多於180天人士,必須於年滿11歲後或抵港30天內登記領取身份證。。。
1949年中國大陸政權易手後,大量難民湧入香港。為控制香港人口,政府開始實行邊境管制,限制中國內地的居民入境。並開始登記香港居民並發出身份證。首次登記在1949年展開,當時發出的身份證只是一張以人手填上資料的紙張。。。
香港早期並無法例規定居民攜帶身份證。為阻止內地移民偷渡潮,1980年10月23日起,香港政府實施即捕即解政策,規定所有年滿18歲的香港居民需在公眾地方攜帶身份證。
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▽ Aberdeen 1973
Bruce Lee "Enter the Dragon"