月刊みんぱく 22-7 1998年7月 pp.15〜17

ホームレスホーム訪問記


 南向き、日当たり良好、都心に近く、交通の便はすこぶるよし。敷金、礼金、保証金の類はいっさいなし、おまけに家賃はタダ。
 通称隅田川テラス、バブル全盛時代にウォーターフロント開発の夢をえがいた隅田川公園には、五〇〇棟をこすビニールハウスが建ちならんでいるという。今や川に沿った遊歩道をはるかにこえ、首都高速下を延々とスプロールする勢いでビニールハウスの列が延びつづけている。青いビニールシートで覆われた国民住宅の行きつく先の姿は、まるで住宅政策の失敗をあざ笑うかのごとく、都市のあちこちでアメーバのようにその数を増殖させつづけているのである。

隅田川テラス

■通称墨田川テラス。整然とならぶビニールハウスの景観は、まるで団地や建て売り住宅の縮図を見せつけられるような驚愕をさそう。

建設費一万円の「隅田川テラス」

 春の訪れを感じさせるうららかな青空がひろがっていた。霙まじりの冷たい雨のたたきつけるなか、どの家もかたく扉を閉ざしていた前日とはうってかわって、川沿いの遊歩道には、必要な生活物資の補給やら寝具の虫干しに立ちはたらく住人たちの姿があった。同一形式のこぎれいなビニールハウスが、遠慮がちに一定の間隔をおいてならぶさまは、ホームレスという言葉の響きとはまるでそぐわない、どこか小市民的な光景だった。
 ビニールハウスの観察をしながら何度も通りを行き来していると、日溜まりのなかでコップ酒を飲んでいたふたりの初老の男に声をかけられた。カメラを二台もかかえて歩きまわっていたのでカメラマンと間違えたらしい。テレビ局が来たけれど、金もはらわずに家のなかを見せろとたのむのでことわったさ。そう言って彼らは私の行動を牽制した。政治のわるいこと、不景気で仕事がないこと、そうしたいわばここでの時候の挨拶からふたりとの会話がはじまった。
 ホームレス生活のための家とはいっても、ビニールハウスは手当たり次第に身のまわりから材料をあつめてつくるわけではない。家の骨組みになる木や外皮を覆うビニールシートを買うのに、一万円ちかくも材料費がかかる。住民のなかには建設作業のプロもいる。自分で家をつくれない新参者には、そうした建設にくわしい人間が指導していた。どれもこれもおなじ家の構造をしているのにはそれなりの理由があるのだ。
 冬は川をわたる寒風が吹きすさび、ダンボールや毛布をいくら敷いてもなかなか地面からの冷え込みをふせぐことができない。反対に、夏は夏で直射日光にさらされたコンクリートの川岸は異常な暑さになる。それでも、便所や水道はちかくの公園の施設を無料で利用できるし、家賃もはらわなくて済む。ここには、さまざまな事情からホームを捨てた彼らのような老人ばかりでなく、定職をもたない若いボヘミアンも多くいる。二軒隣に小さな鯉のぼりをあげた家をかまえているのは、日本語の堪能な大学出のアメリカ人で、英語教師をしながら生活費をかせいでいるという。キャンピング用品を家の前にならべ、ロープを張って洗濯物や寝袋を干し、歯を磨いている若者の姿も見かける。ここは一種の都市生活者の青空キャンプなのである。
 毎月一度、清掃と称して都の職員から立ち退きをせまられるので、そのたびに家をたたんで近くの公園に避難する。いきおい家の規模も所持品の数も移動可能な範囲に限定されている。もっとも、それは彼らの生活パターンの一部というべきで、職員が立ち去るのを待って、ふたたび元の場所に舞いもどるだけのことだ。こうした居住形態を人類学者ならなんと呼ぶだろう。私は以前調査をしたことのあるボルネオの狩猟採集民の話をした。目的のために現在を生きることをわすれた現代人は、大切なものをうしなっているのかもしれない。

プナンの出作り小屋

■プナンは熱帯雨林の小木や立木を利用して数週間の生活のために彼らの住まいを建設する。手間のかかるヤシの葉にかわり、現在は手軽に持ち運びのできるビニールシートを屋根に利用する。まさに森のビニールハウス。

現在をたのしむ移動民プナン

 ボルネオの熱帯雨林にプナンという狩猟採集民がいる。彼らは数家族があつまって小さな集団をつくり、森のなかを移動する生活をおくっていた。いまは森林伐採の邪魔になる者たちを定住させようという政府の方針にしたがって、プナンの多くは家屋をあたえられ、農耕の手ほどきを受けはじめている。だが、定住家屋を持ったといっても、プナンが狩猟採集民としての心性をうしなってしまったわけではないのだ。彼らは月の大半をあいかわらず森のなかのキャンプですごす。彼らが育てるのは放置しておけばいつでも収穫可能なキャッサバやバナナであって、何カ月も先の収穫のために現在を投資することはしない。
 森のなかで生活するプナンが移動するもっとも大きな理由は、資源の枯渇をふせぐことにある。プナンの主食は野生のヤシにふくまれるサゴ澱粉で、ほかに野生のブタやトリなどの獲物がこれにくわわった。こうした食料を根こそぎ採り尽くしてしまうような真似をプナンはしないのである。移動は数週間から数カ月の単位でおこり、そのたびに、彼らは身のまわりの材料を最大限に利用してあらたな住まいを建設する。
 せっかく築きあげた住まいを捨てて移動するという感覚は、土地にしばられて生きる私たち定住農耕民族には理解しがたいことかもしれない。住まいは人類の誕生以来連綿とつづく血の連鎖を保証する器であって、家族の永続性が否定できないように、その容れ物である住まいも未来永劫に存続すべきもの、そう私たちは暗黙のうちにかんがえている。こうして私たちの存在は、時間の系譜のなかにあらかじめ位置づけられ、知らず知らずにそうあるべきものとしての生を生きているのである。住まいは、そこで生活することをとおして、いつのまにか私たちをのっぴきならない秩序のなかに巻きこんでゆく。
 ところが、プナンにとって、住まいは過去を継承するものでも、将来を保証するものでもない。それは、現在行動をともにする彼らの家族が、わずかの期間おなじ屋根の下にすごしたことの証明でしかない。だから、プナンは過去でも未来でもなく、現在をたのしむのである。プナンはしばしば祖父母の名前さえおぼえていないといわれるが、時間の系譜から解き放たれたプナンの家族は、家屋がなければその実態がかき消えてしまうほど希薄な存在にみえる。住まいの建設をつづけることだけが、プナンに社会的存在としての彼らの生を開示している。

昼餐

■暖房を兼ねた石油ストーブに火をおこし、捕れたての獲物を料理する。小麦粉のすいとんは都市の狩猟採集民として生きる彼らのいわば主食である。

昼餐の味噌汁はパンの味

 もう食事は済んだのかと聞くので、まだだとこたえると、年長のAさんはわざわざ自分の家までもどり、ビニールで包装されたジャム付の食パンを二袋もってあらわれた。彼は家の扉に鍵をかけていた。こうした生活を選択したからといって、生きる気力もない、経済的に破綻した者ばかりではないのだ。まだ封をきっていないから大丈夫、わざわざそう言いながらAさんは私にパンの袋をすすめてくれた。日々の食事にも事欠く(と信じられている)人びとから示された好意に、私は意表をつかれた。どう対処してよいかわからぬまま、一袋だけありがたく頂戴して、だまってその乾いた食パンを口にはこんだ。
 そのとき、おなじくらいの歳格好の老人が大きなビニール袋をかかえて帰ってきた。彼の手にしているのは、パン屋の出した生ゴミだった。一瞬、待ちかまえる老人たちのあいだに小さな歓声がおこる。袋のなかを覗きこむと、ゴミにまじってパンに焼くまえの小麦粉を練った大きな塊があった。数日前にひいた風邪のせいで鼻をすすっていたら、臭うのか、とたずねられた。即座に否定すると安心したのか、アイスクリームの包装紙やビニールなどのゴミをのぞいて、きれいな部分だけをボールに取り出した。川辺を汚すからと言って、Aさんはのこったゴミをわざわざ遠くはなれたゴミ捨て場まで捨てに行った。
 獲物はその場で調理する分をのぞいて三人で山分けにされ、さっそく食事の支度にとりかかった。石油ストーブに火をつけて水をはった鍋をかけ、小麦粉の塊を拳半分大に丸めてそのなかにほうりこむ。その間にAさんは愛用の自転車で買い物に出かけた。しばらくして、味噌とネギを手にもどってきたAさんをまじえて、ゆであがった小麦粉のすいとん入り味噌汁の昼餐がはじまった。三人は皿に取りわけた料理を私にもすすめてくれた。すいとんはたしかにパンの味がした。慣れない歯ごたえと味の組み合わせに躊躇しながら、それでも無理してすいとんの塊を三つも食べるとさすがにおなかがふくれた。
 先日、新宿駅地下街のダンボールハウスでおきた火災で四人の住人が焼死した。その告別式がこれから新宿中央公園でおこなわれるのだという。彼らはみな廃品の自転車でどこへでも出かける。そのせいで、この午後に予定されているカレーライスの炊き出しには参加することができないのだ。それじゃあ、また来ますから。食事が済むとそう言って私は立ちあがった。ああ、またおいで。
 ビニールハウスを撮影していたら、自分の写真も撮ってくれよ、と言いながら寄ってきたのがYさんだった。ハーモニカとギターを持たせたら右に出る者がないというのが自慢だ。雑誌にもその写真が掲載されたことがあると人づてに聞いたが、彼自身はその雑誌を知らない。自分の写真を勝手に使うならちゃんと持ってきてくれよな。もう六〇代なかばのYさんは、都内のある建設会社で働いていた。大手のゼネコンの下請けをしていたそうだ。目の前の川をゴミを満載したはしけ船が下ってゆく。ふたりで川面をみつめながら彼の身の上話を聞いていた。
 だめじゃないのYちゃん、仕事に行かないのかい。やはりここの住人のKおばさんが声をかけて通り過ぎてゆく。きょうは天気がいいから仕事はおやすみにしたよ。
 昨年の一二月に仲良しだった男が川に飛びこんで死んでしまった。真冬に川に飛びこめば誰でも死んでしまうことくらいわかりきっている。男は川の中程まで泳ぎすすむと、やおら引きかえしてきたのだそうだ。あるいは自殺をおもいとどまったのだろうか。ところが、途中までもどったところで、水中に吸い込まれるように姿が見えなくなってしまった。運命は皮肉なものだ。自分は死ぬことなんてできない。故郷には家も新築して、二五歳になる長男とふたりの娘にのこしてきた。もう一〇年ちかくも会っていない。だから、このまま死ぬわけにはいかないのだ。
 あと二〇日もしたら川沿いの桜が咲くからおいでよ、花見の季節になったら、またハーモニカをふいているから。そうYさんが言うので、写真を撮ってあげようとカメラを向けたら、恥ずかしそうに川堤の階段を駆け上がって逃げてしまった。しばらく川沿いの道を歩いてふと後ろを振りかえると、Yさんが橋の上からこちらを見ていた。手を振ると彼も一所懸命手を振ってかえした。言いようのない凝縮された時間を私はそのときに感じた。

淀川ガーデン

■まったくあたらしいタイプの都市生活者が登場しはじめている。ホームレスの農耕民、それは人間として生きることへの叫びではないだろうか。

永久とわの住まいを得る代償は……

 不況になったとはいっても、あいかわらず新聞の折り込み広告には、毎日のように住宅産業のつくりだす蠱惑的な宣伝文句がおどっている。多かれ少なかれ、そうやって平和な家庭生活を演じるための永久の住まいを得る代償に、私たちは社会をになう戦士の一員として、その制度のただなかに組みこまれてゆく。住まうことは実存の本質的特質である。ある哲学者はそう書いている。いまや、人間存在の本質は、商品経済を底辺で支える消費活動のなかに現前している。こうして私たちの感じている漠然とした不安は、生産活動の拠点でもなければ、家族や労働の再生産の基地とも無縁な住まい、まさに社会制度の手からこぼれおちた粗末なビニールハウスに焦点をむすんでしまう。私たちの手にしている住まいは、じつは人間としての健全な自己形成をさまたげる足枷でしかないのではなかろうか?

1998.06.03(Wed) 14:05